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栃原の住人

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以前、15年ほど昔? ここまで来て 工房の様子をうかがっていたら
筋向いの母屋にいらした ご本人と思しき 妙齢な女性と目が合ってしまって
ぎこちなくカメラを構えて 風景を撮るポーズをしてその場を凌いだが

もし ひとつ ふたつ、染色について知識を持ち合わせていたら
数十万もする染色した反物を間近に見ることができたかもしれない。

こちらの染色で仕上げたスカーフ?を纏って、深野さんは例会に通っていたが、
当時の彼はここに仕事か?◎×か? で 足繁く通っていたものであった。

もしあの時に 足を踏み入れていたならば そんな話もできたのかと思う。
大柄な明るい暖色系の花柄デザインがこちらの得意と知り及んでいたが
幸か不幸か ついつい入らず仕舞いだった。
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by tabi-syashin | 2014-11-30 17:50 | Miyagin | Trackback | Comments(0)

SIGMA de Sampo (^~^;;

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先週の土曜日に宮城野区の田んぼを歩き福田町へ抜けた。


仙台バイパス山崎交差点から東北学院高校 仙石線車両区 田子揚水場
扇町の修理工場まで 約1時間のカメラ散歩だ。


冬になるとどこまでも歩いてしまう。


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カメラには捨てられる画像ばかりが溜め込まれる(笑)

田圃には 主に捨てられた靴が 片方だけ?
東を向いていた  

僕もそっちに行こうとしてた

捨てられた靴は さぞ無念だろぅ

ゴミともならずに
「行くさきは東だ!」と

明けても暮れても 東に行きたがってる

主に履いてもらわなきゃ

東に行けないじゃないか!

って 言ったところで

手も足も出ない・・・あ 手はないかw



日本の政治みたいなもんだな



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畦に 一枚のティッシュ・・・

枯草の茎につかまって休んでいる
みんなが働いているというのに

一人だけ休んで・・・

いつまでも そうやって サボってろ!
雨が降ればお前なんかオシマイだ

何の役にもたたん

パワハラうけて つらいなあ


それでも晴れた休日は気持ちがいい。
ファインダーから眺める風景には

その時々の市井が写る

今日の私は宮城の「写人」だ(爆)

言ったもん勝ちだ

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by tabi-syashin | 2014-11-29 11:15 | Camera | Trackback | Comments(0)

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二度目の訪問だが、、、建物はすっかり観光化されてしまって以前のような大正時代の雰囲気が無くなってしまった。とくに戦後間もない頃、果樹王国福島にリンゴ果樹産業が興きたころの面影がこの土蔵倉庫に残っていたのだが、その「面影」の一つもない。この土蔵倉庫にはリンゴ箱に印刷したであろう品種名(朝日 國光 紅玉など)を刷る形抜きが20枚ほどあったのだが今回は見当たらずに何処かへ片付けられていた。屋敷の玄関が買付の事務所になっていてそこで使われたであろう算盤や買付帳面なども何処へ行ったのやら? その代わり、足湯や手湯などの観光客向けの施設が 隣の鯖湖湯からこちらに引湯し新設されていた。建物は残ったけれど昔の名残りである産業道具類が見えなかったのがとても残念だった。


豪農・豪商 堀切家
江戸時代の堀切家の経営は地主経営のほか、金融、酒造りをはじめ、蝋・漆・生糸・真綿・鉄・塩・酒の商品を扱う多角的な商売をおこなう一方、福島藩・相馬藩・白河藩などにも多額の融資をおこない、藩の財政再建に助力したり、年貢の先納金(年貢の前納金)を村に貸し付けもおこなっておりました。また、これらの経営で蓄えた財力により、飢饉による農民救済の救援米を藩に寄附したり、米の安売り、赤子の養育資金を代官所に預けるなど、地域の政治・経済に大きな影響を及ぼしました。
これらのことから、4代当主太郎左衛門治久の時に「名主役」に、7代当主善兵衛治美の時には苗字帯刀が許され「大庄屋格」に、8代当主善兵衛治堅の時代には郷士となりました。特に8代当主の時代には年間総収入13,505両に達しました。(福島市観光課 案内文より転載)

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明治時代の海外渡航用カバン
by tabi-syashin | 2014-11-25 13:09 | Utukusima | Trackback | Comments(0)

修理。 試走。 終了!

ひずみ 断層 逆断層 揺れ 震度6 震度5強 7日以内に余震の恐れ・・・
客観的な情報ばかりが流れる全国ニュースですが、
被災地仙台より 北信地方の皆さまに心からお見舞いを申し上げます。


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愛車もようやっと、できあがってきた。

冷えているので セルを回すとフライホイールが重く感じる。
アンサマフラーが低音を奏でるので近所迷惑だろうけど、朝も9時を回ればOKだろう。

暖機の最中、修理課題であった灯火周りをチェック!
おおっ!アースも効いてグッド。左右ともにストレスなし!

エンジンルームもきれいになった。真鍮ブラシでさらに磨こうかな。
耐熱塗料でタコ足排管もきれいに化粧直し。音が静粛になった。
排管のガスケット交換で音漏れなしかな?

プラグを新品にしたから 燃え具合もいいんだろう。
あッたりまえじゃ!と突っ込み入りそうだが
6年も、あまり乗らずに治してきたわけだから・・・ニンマリだ。
オイルも固いBPクラシック。このオイルとてもいいね。


松島まで10リットルのハイオク入れて、さっそく試運転。
道路もフツウに混んでたが 1時間で往復できた。

これで冬場をこなせば、来春の車検時には
クラッチ関連のバラシと組み上げ、ハブベアリング点検、ハンドルのラック点検、
ABARTHマークのオイルパンに交換、メッキバンパーの錆取り・・・で?
ようやく作業計画もほぼ完成かな?

6年もの期間をかけて、、、? タマの少ない貴重な車だから
ちょっと熟成時間を掛け過ぎだが、 やっとこさ見た目を良くしよう って気になってきた(爆)
表ヅラに気を回せるようになってきたってことは・・・趣味車にとっては良いことだ。


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F I A T 600 type D 1966年製造 (来年で 満50歳)
伊国車の手入れはシムカラリーⅢも含めて5台目だが 共通して重苦しさを感じない。ルパン三世でお馴染のチンクェチェントは日本に正規輸入されていたけれど 兄貴格であるこのセイチェントは 個人輸入でしか手に入らなかった。このFIAT600は ABARTHエンジンに換装している。ABARTHエンジンは シムカラリーⅢ、FIAT126、FIAT600で3台目だが ショートストロークでよく回るし運転しやすい。2速ギアにシンクロリングが無いのが唯一の欠点。3速レンジが広い設計なので 峠登りの加速感がよく 逆に街乗りのダラダラ運転も楽な車。
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by tabi-syashin | 2014-11-24 18:38 | Car | Trackback | Comments(0)

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063.gif レビュー

ひとたび、激しい行為を通して強い生命の喜びを知りえた者にとって、心はただ自然を愛する自由な旅人ではなくなっている。彼の眼にはやはり山の美しさが映っている。しかしそれは静かに眺められた美しさではない。彼の心には、彼みずからの意欲によって開かれた山の激しい美しさが目覚めている。黝(かぐろ)い岩、鋭い雪稜、きらめく蒼氷、身をきる風の唸り、そして雪崩の咆哮。これらの美が彼の心を引きつけ、彼の魂に息苦しいまでの夢をつくり出す。その時山は、彼自らの生命をもって贏ち取ろうとするプロメテウスの火となるのだ。 
「森の中」 小川登喜男 1934年 山岳雑誌「山」梓書房 


このエッセイは小川が大きな影響を受けた英国の登山家アルバート・F・ママリーの登山論が起源となる。ママリーの原文は慶応の大島亮吉によって和訳され、それに啓発を受けた小川が書きしるした登山論の一遍である。

「人はなぜ山に登るのか」 この永遠の課題をもって登山家小川の思いが始まる。「真に新しいルートへ向かう。誰もまだ到達したことのない地を愛し、大地がカオスの世界から生まれて以来無垢の地、氷の襞におのれだけの径を刻もうとするものである」ママリーからの啓発である。それは穂高で落命した大島の心を酔わせ、彼が和訳したママリー登山論が若い小川たちを谷川初登攀へと駆り立てたのだった。

小川登喜男・彼が仙台近郊の山に足しげく通った東北帝大生時代(1928-1931)、その4年間に東北の山々を登り白銀の峰々を滑走したことが、彼の人間性の礎の一つになっているのは間違いない。その天賦の才に恵まれた彼は小さめな体躯(165cm)ながらも持ち前の柔軟さで谷川 穂高 冬の剣などでその才能を咲かせるのだが、それ以前に泉ヶ岳や大東岳 船形山 黒伏 丸森 霊山 蔵王 八幡平 吾妻 飯豊 八甲田といった東北の豊かな大地・ブナの森・たおやかな峰にて培われたであろう山への想いは天才クライマーとしての技術ばかりか人間としての心の豊かさをもバランスよく埋め込んだ。それが著書に出てくる言葉「Gemut」(心情・情緒)なのだろう。それらがヒュッテンブッフ(蔵王小屋に備えられた自由ノート)や部室に備えられた「ルーム日誌」に多く認められた。落書ノートの「ノリ」そのものである。それに見る男たちの友情は濃くそして思いは熱く、読む者に昔日の良心を見せつける。熱いものが伝わってくる anthology だ。

哲学的とも宗教的とも思想家的とでもいうか帝大生の山に打ち込むストイックな姿に私などは敬服の念を抱くのみだ。それにしても読後に悲壮感めいたものを感じなかったのはなぜだろうか。恐らくこの本の背景に流れる「帝大生」という磊落な気質がその因子なのだろう。それはそれとして、書き手の出自が岩ヤか沢ヤかでこうも違ってくるものだろうか?沢ヤであり山岳スキーヤーでもある深野氏が書けば山への情念と描かれた心情が中心となり 仮に岩ヤの遠藤甲太氏が書けば、滲みだすあの生死の境から生まれる悲壮感で世界をも陰鬱に包んだことだろう。

確かに、クリンカー、トリコニー、ベルニナ、ムガーなどドイツ製の鉄鋲を打ったナーゲルシューズでしかも麻縄のブーリン結びで、プロテクションもおおかた無しで断崖の岩場に挑むわけだから宗教的な文体になるのも必定、理解もするのだが、いずれそのような貧祖な道具の時代での登攀なのである。今を見て知って当時を思えばなんと無茶で恐ろしい意気込み至上の登攀だったであろうか。小川が田名部、枡田とで登攀した谷川岳 幽の沢右俣・右俣リンネ初登攀の回想が読み手をかなりビビらせる。この装備で逆層の岩場をバランスのみでしかもノーピンでクリアしていく彼らに「日本の近代登攀技術を一段上がらせた」・・・と。岩から身体を離しオーバーハングをクリアしていくという近代メソッドがそこにあった・・・と。足しも引きもしない岩壁登攀の実力者である遠藤甲太氏が全てリードにて同ルート実録検証をしその上で語っておられた。余談だが、深野さんと遠藤甲太氏は旧来より親交ある仲だ。それは当時の僕がよく知っている。なので深野さんのルート推考と遠藤甲太氏の実登攀による検証とでこの評伝を書きあげるに互いに補完しあったのだろうと推測する。

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063.gif 読後感 

深野稔生さんの本を読んだのは共著である「ブナの山々」が最初。それが出会いで、それが元で郡山からの転勤後にYMCA山岳会に入った。次の本は「山遊び山語り」、「宮城の山ガイド」だったろうか? 土樋にある深野宅の書斎で戴いた「昨日からの手紙」「神室岳」が最後だったろうか? 彼の文学的?形容文体を少しトレースしてみたくなって・・・、amazonでポチったら かの本は翌々日には届けられてしまった。まだこちらが本を読む覚悟をせぬうちだったのでその分厚い装丁におののき、パッと本棚の何処かに隠してしまいそうだった。ついついページをめくると、意に反して、どんどん惹きこまれてゆくではないか! おそらく自分にも そういう素地、山のDNAが潜んでいるんだろうと思ってもみた。ただ、18歳から山にのめり込んでいた割に自分にはストイック性がまるで無い。あるといえば、「山は総体だ」という哲学のみだ。そんな自分なのだが、この本を読んでいると山への向かい方に教示され、反省もし、山岳愛好家として理想への道標にこれを据えようと思うに至る。

山行には焚火と酒があればよいなどと平気でのたまう自分はとても恥ずかしい。とはいえ文中にある「バドミントンスタイル」という言葉にこそスポーツを楽しむという英国近代登山発祥の姿(British hill weather 1892年より)があり、慶応の大島亮吉が流行らせたらしい言葉がある。そんな下りがあるのでパイプをくゆらす、スコッチを嗜むというのは登山に於ける紳士道として許される覚えなのだろう。さらに雨が降ろうものなら止むまでマントを被って山野に宿り、霧が出れば晴れるまでパイプを咥えて幻想の世界に身を沈め移ろいをやり過ごす、という気候をも含めて自然を楽しむ彼らに欧州における古来伝統のスポーツの香りが利ける。元来、スポーツという言葉には”楽しむ”といういを含んでいる。それが英国バドミントン村での貴族紳士の生活スタイルなのだとファッションも交えて大島らは慶応の部内報にて披露し実にやがて社会人全般にも流行するようになったとある。今も昔も学生こそ時流の先端にいたわけで、この下りにあるファッションにさえも日本近代登山の黎明をビシバシ感じてしまう。

「岳人」とは、「アルピニズム」とは、いったい何ぞや?「岳人」と称するには如何ほどの時間を山と渓谷に費やさねばならぬのか?厳しく危険な山を追求する一方で憩いを大事にし、緊張を持続させる行動はやがて肉体ばかりか心のくつろぎを要求するもの。緊張の登攀を終え、ひと休みするアルピニストには瞑想的な精神があらわれる・・・イギリスではこれを「The spirit of the hills」“山岳の精霊”と呼んで尊んだとある。その「岳人」に宿る精霊とやらを得るにはどのような心境に自らを浸らせるのか?この下りを理解せずに「岳人」は成り立たない。この辺を現代の万民登山とで比較してみたいと思う。自らを「岳人」と呼び悦に入るなどは身の程を知らぬ滑稽な行為と先人たちに笑われそうである。そこのところは一度学生時代に戻って、いわゆる「登山とは何ぞや?」に思惟を巡らさねばならんのだろう。

さらにもう二、三度、当著を読みこんでみようと思う。「岳人」であるなら一冊は持つべき本であり 山岳愛好家であればけして損はしない一冊である* 草稿なので 今後書き換えることがあります。

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063.gif 登山家 小川 登喜男(おがわ ときお、1908年 - 1949年) 
東京浅草の生まれ、旧制東京高等学校在学中出より登山を始め、東北帝国大学山岳部(1928-1931)では草創期のスキー登山によって、蔵王、船形山、吾妻連峰、八幡平など東北各地の山で活躍。登山のために入学し直した東京帝国大学山岳部(1931-1934)では、谷川岳一ノ倉沢や幽ノ沢、穂高岳屏風岩、剣岳雪稜などを初登攀した。

「行為なくして山はない、情熱なくしては、いかなる偉大なことも起こりえない、山への情熱は、山に行くことのうちに純化されるだろう」(東北帝国大学山岳部ルーム日誌より)

肺結核で若死にし、長くその登山の偉業が知られることがなかったが、東北帝国大学時代に残した日記に小川直筆のメモを見たという。部室や蔵王小屋に集う岳友たちとの交情、山行報告、思索と随想、帝大生たちの青春、登山がロマンであった時代の伝記である。昭和の天才登山家と評される小川登喜男の実像に迫った力作評伝。

「銀嶺に向かって歌え クライマー 小川登喜男伝」 深野稔生著 みすず書房発行 定価 2800円

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でも こんな読み方もあるので 紹介しておく
いちおう「評伝」だから史実もののジャンルなのだろうけれど  脚色もあるとして事実との符号に苦慮する点も多々あるらしい 
それを小説だと指摘する方もいるので そこの所にまだまだこの本の問題があるようで その一方の意見主のURLも表記しておく。
* http://kletterer.exblog.jp/20207595
それらを指摘をする彼は自身のブログに「クライミングという行為が、無機的な岩塊の上で繰り返される筋細胞の伸縮でしかなく、幾つかの数字だけがその結果を表現するものであるとしたなら、なんと虚しいことだろう。」と書いているので その一文で真摯に岩に取り組む方だということが傍目の私にも直ぐにわかる。ご訪問してみて下さい。

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by tabi-syashin | 2014-11-22 22:34 | 書棚紹介 | Trackback | Comments(0)

僕は思うんですが・・・
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同人で山に向かうのか 面倒なシュシュ雑多の人間の集まりである山岳会を率いて山に向かうのか これは組織の平均的標高点を大事にするか 尖鋭な個人の標高点をさらに上げていくのか という問題ですがね。

個々で同人を組んで常にロープを結ぶことができるなら、山岳会という組織は無用ですね。組織の煩わしさなしで、気兼ねなく、自分たちだけで、目標を設定できるわけですから それが一番宜しいわけです。それと例えば白い世界になるとそうもいかないわけで、組織を利用してパーティを組むわけです。他者の入るそこには歯痒さが自ずとあるだろうことは解りえています。

「ミーティングを開いても解らない個々の志向の差」を埋めるのは常日頃の山行しかありません。山岳会でも同人であっても日頃の気の合うレベルで 研鑽し合う互いであったり、山への想いを慮りあえるほどに緊密であったり・・・なのですが、実に現実は違っていて、じゃあ それをやっているのね?と問えば 途端にトーンダウン・・・、なんせできるだけ人間の陽の当らない部分、メンタルの部分を忌避して普段の人間関係は成り立っているからで、そんな現実が往々にしてあるものです。

実際は「個々人の差」、それこそが問題なわけでどうにも面倒。。。なので会山行の場合はレベルに応じてコースを設け、同じ日程で精鋭と慣熟と入門とで計画を立てるわけです。そうはいっても差があり過ぎてどうにもならない場合が多々あろうかと思いますけど。個人山行でスキルの高い同人と組んで戴いて、会の山行にて還元するという方法も・・・都合のいい話ですが。それが不可能とすれば 蛸壺である山岳会同士で交流することはとても大事ですね。

しかし「底辺が広い山は自ずと標高が高い」の例え通り、組織の広さ懐の深さはやがて個々の人間的なレベルをも押し上げていくわけで そこに山岳会の存在意義があるわけです。資質の高い人間同士の質の高いパーティほど全ての点で最高なわけですが その資質の高い個人であっても山をスタートさせた時の幼稚なレベルに かつての自分がいたことを忘れちゃならないわけです。原点ですね。地味で基本的な、面倒なことを億劫がらずに繰り返し繰り返しで技術の継続がなされてきていることが今日のハイレベルな個人を作ってきた、これは事実! そこのところは踏み違えないようにせねばなりません。

遭難対策&救助訓練やら自己脱出訓練やら数年分の記録の整理やら会報作りやら・・・とてもアナログな部分ですが、会報一つとってみても山岳会はきちんと企画構成し出版を継続させて今日まで来ているわけです。色んな人が運営に参加すると困難な事業もやり遂げることができるわけです。でも個人ではどうにもならない不得手な部分で、ブログに書き残すことぐらいしか手の打ちようがないですよね。山に登る行為以外で最も楽しみある部分は?といいますと、やはり「本」作りであります。

しかし ここまで書いたとしても登山行為そのものはやはりエゴだと 僕もそう思います。そのエゴがなければ先鋭さに陰りが出てくると思いますから。そんな異端児的と思っておられる方って実は極々普通の人。尖鋭的なことをやっている人は誰しも「異端児的な側面がある」と思います。 end

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喩えが悪いのですが、組織の力を説明する際に一番解りやすい説明の一つです。
(現役時代の貴重な体験を通して・・・)

イスラム世界やロシア圏の山々に遠征し、仮に運悪く遭難した場合・・・亡骸を引き取るに際しどれほど山岳会という組織が遺体収容に即応し短時間で機能し尽力できるのか?アラブゲリラや内戦地帯、ヘリを飛ばすための現地陸軍との交渉や現地医療の度合い、土葬・風葬など宗教上の作法なども障壁の一つ、時差など全ての困難を想定して大使館、領事館員に対応に当たっていただく。現地で荼毘にふされる場合もあるわけで緊急性を要する状況、KDDIの交換手にも事情を伝えれば彼女らの任務以上のことをしてくれる可能性も期待します。 此処のところでその山岳会の実力がわかってきます。

その点だけでも切りぬいて考えれば解ることなのですが でもここまで想定して遠征パーティを組んだのかどうなのか?と問われれば そこにパーティの資質 送り出した山岳会という組織の資質などレベルも問われることになるわけです。

山岳会は色々な人間の集まりです。外務省に人脈の有る無し一つとってみても とても重要なファクターになりますし、アラビア語・ロシア語ができたらそれこそスパシーボなわけで、それができなくともメンバーの先輩後輩が大学のアラビア語・ロシア語専攻であったりしますから山岳会の人脈は会の中に留まらず無限な広がりがあるわけです。山脈はまさに人脈に通ずると言われる所以です。

会組織を上手く利用できないのであれば組織を批評することは妥当とはいいがたいのですが、いずれ「金もある、暇もある、海外を経験したい、実力を上げたい、単に登りたい 箔をつけたい」・・・これだけでは済まされないのは確かです。個人と組織は互いに利益と責任とを補完しあえる関係にないと 個人山行そのものも上手く行かないのではないでしょうか?



* 長くなるので返信を自分のブログに書き込みました。時間がたてば 一時変更か削除します。
by tabi-syashin | 2014-11-21 09:52 | colum | Trackback | Comments(4)

自生の山葵

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これで、だいたい600円はするかな?
二口本流で付着した泥を洗い落としながら 男はそう言った。

小行沢にも山葵が生えていた記憶はあるけど・・・
こういう場合 キノコと同じで採取場所は秘密らしい。
3年でこれぐらいだから、10年ほど経たないと見栄えはしない。

今日の二口は、、、雪が降っていて 立木だけが黒かった。
白くなった三方倉と水墨画のような西磐司が見えているだけ。
あとはすべてガスの中、そのすべてが寒そうだった。
でも 登山客だけは笑顔で 三方倉に2パーティが出立したところだった。

大東岳登山口に8台 、キャンプ場下には5台?駐車している。
それぞれ楽しいシーズンが 始まったようだ。
こっちは首をすっこめた亀さんよろしく 温泉に直行便かな(笑)

東北圏内のブログには初雪の写真がアップされると思うけど
僕は 二口自生の山葵でも・・・アップするか(笑)
この山葵、ちんちくりんの姿ではあるのだが・・・味は格別だった。

葉をさっと湯がいて醤油を差して風味を味わい、
写真左側の小さな山葵だが、まぐろ刺身5切れほどで丁度な分量。
摩り下ろした山葵をチョッピリずつ載せて、戴く。

香りが強くて自生の山葵そのもの。摩ってるうちにも香りが際立つ
まぐろの脂身と山葵の辛さと醤油の甘さがマッチして贅の極みだった。

酒は 阿部勘 於茂多加 男山 本醸造 の人肌燗。
山葵がとりもつ酒と肴のマッチング、なかなかオツだ。

あ、そうだっ! 週末は 福島の実家だべした・・・w





















by tabi-syashin | 2014-11-16 17:25 | Mount Futakuchi | Trackback | Comments(2)

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二口 磐司沢 F1 15m・・・
写真の登攀者は 当時40歳になったばかり、山も仕事もバリバリだった(笑)

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「行為なくして山はない。情熱なくしては、いかなる偉大なことも起こりえない。
山への情熱は、山に行くことの内に純化されるだろう。」
(東北帝大山岳部ルーム日誌より)


大学山岳部のノートに残された思索的な言葉が印象的だ。


また 彼は言う。
登山とは「芸術と宗教とを貫くひとつの文化現象」であり、
「強く激しい心の働きは芸術の創造における態度に」近づくと。


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「銀嶺に向って歌え クライマー小川登喜男・伝」
さっそく 読んでみたいと思う。。。



Gemute(心情・情緒)
熱情に近いがもっと静かな愛とも似た、憧憬の母であり激情の父でもある心の態度であろうか。少なくとも自分の見出したGemuteはロマンチシズムを母とする。山へ行く者は良い意味での広義のロマンチシズムがなければならないと思う。自分が生活の現実性に圧倒され、沈滞してしまう時があるとすれば、それは山を捨てるときなのだろう。



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↑ 二口 磐司沢 F1
磐司沢 3度目の試登フィルムである。インスペクションも3回目となると 滝ごとに課題は決まってくる。このとりつきを繊細なフリクションと微妙なバランスとで4mほど上がれたら、クリアできたも同じ。果たして、地の底から溝を拝めるかどうか?、バランスが不全であると磨きこまれた岩に立ち込めない。 それどころか 磨きこまれた岩にいとも簡単に落とされてしまう。 F1こそが 今日の試登の可否を判ずる分かれ目となる。


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↑ 当ブログ初公開 磐司沢F6 磐司大滝 40m
磐司大滝最上段の落口が見えた。F4から撮影した貴重な写真。この時、途中に茂みがあることを知った。ということは あそこまでは登れるという実感が湧いた。この数年後、脈略もなく突如?コンクリート釘の連打で登攀した同期もいたが何ら不思議なことでもなかった。これより大きな目標に向け、己が力を試したかったのだろう。
この滝の上が 皆さんおなじみの冬季尾根、既知の磐司尾根だ。
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F4、 5m と無性に小さい斜瀑。
これをみて、F5の20m滝までなら行けると思うだろうが F1のクリアが厳然とあることをお忘れなく。


















by tabi-syashin | 2014-11-15 11:17 | Mount | Trackback | Comments(2)

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NISSAN SILVIA(CSP311) 1965年製


会場に9時に着いたのですが 遠足部はもう既にテント設営を終えて『芋煮』の準備を始めていました。食材の下準備は昨夜のうちに100食分既に切ったり洗ったり剥いたり千切ったりして準備万端でした。僕はもう登山の疲れでビールを戴いた途端に眠くなってしまって最後までお手伝いできませんでしたが23時にはほぼ終了できたようです。すみません すみません すみません でしたっ!

毎回毎回 この準備にM田くんが新鮮野菜を中央市場から配送してくれてモンキチ宅の玄関先は野菜の山になっているのですが 今年はさらに豚肉が旨かったな!モンツマのお陰か?ありがとう。 きっちり100食分はとれましたので予定通り一杯300円以上の協力金で仕入原価割れが発生しないように、さらに食中毒が出ないように細心の注意で始まり、また結果良く終わってなお万々歳でした。

100食って・・・数年前は200食作って原価割れしたので売り込みに大変躍起になったものですが 今年は遠足部もノンビリ愉しみながら芋煮会できたので 100食でちょうど良かったと思ってます。皆さんもポケットから1円玉、5円玉、10円玉をバラバラっと出す方は一人もおらずに(笑)1000円札、500円玉をサッと出してくれたので大助かりでした。みんな ありがとう!

昨年でしたっけか?一杯4円???という珍客も居られましたがw 「たかが芋煮」、でも皆で集まり愉しめれば「されど芋煮」というもんです。来年も楽しめる芋煮を継続できそうな金額が集まりましたので 良かったですね。最後に 遠足部モンキッチャンから「来年も気持ち良くできそうです」と報告がありました。来年も開催しましょう、みんなで 協力しましょう!

さすがに前日 悩みに悩んで、「協力金」という名目で芋煮の金額をブログで訴えただけの結果はあるなと「評価は上々」。「お味も上々」特に「トムヤムクン味の芋煮」は僕でさえも唸っちゃうほどの上出来で、来年の期待はカレーウドンではなくトムヤムクンうどんで締めができそうwww 

皆さん お疲れさまでした!また来年4月に おあいしましょう お元気で!


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これらの 60-70年代の車両がまだまだ参加が少ないですね。
カリーナのメッキバンパーですから 初代ですね?いい味出てます。

上のシルビアしかり、下のカリーナしかり、、、
60-70年代車には どんどん参加してほしいです。

by tabi-syashin | 2014-11-11 21:44 | Car | Trackback | Comments(0)

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北石橋です、奇妙奇天烈なw水が岩をくり抜いた浸食地形・奇岩です。こういう沢が二口渓谷にはけっこうあります。


二口渓谷 裏磐司コース~表磐司林道コース周回。 例によって遅めの出発時間、8:30にキャンプ場下の駐車場をスタートして北石橋-糸滝-二口林道をぐるっと周回してきた。このコースの記憶はたしか・・・藪が煩いということしか記憶にないので覚悟して向かったのだが 今回あっさりと糸岳分岐まで藪漕ぎなしだったので拍子抜けした。途中、仙台市の職員が作業者を連れて標識の整備・立て替え作業をしていた。「少し前に北石橋コースと県境尾根ルートは刈り払いしてあるので安心ですヨ」と自信ありげに言っていた。ついでに 権現様峠はどう?と聞いたら 「もちろん アッチも刈り終わってます」とのことだった。珍しいこともあるものだ(笑)

雨滝手前で 引き返してきた男性と立ち話した・・・「頭がふらふらする」とかで 雨滝から引き返すのだそうだ。少し 水を飲むように指示して休憩ついでに話に立ち入ったらば・・・、いつもは奥さんと山を歩くのだそうだ、今日に限っては単独で・・・「やけに寂しく、一人だと山が怖くなり、臆病にもなるもんだな」と本音めいたことを言って笑った。同時に顔に血の気が戻り明るくなったのでこっちも安心した。

別れてのち しばらく歩くと 北石橋分岐点手前の登山道が崩れたところで、鈴を鳴らしながら 速足で歩く男に抜かれた。「今日はスタートが遅かったので いつもの逆コースで挽回できるか?」勝負!とかで スタコラ行っちゃった。私も遅いスタートだったが、同じ単独でも足元しか見ずに先を急ぐ山歩き男と、普段の相方がいないので山を寂しく思えた山歩き男と 二人にすれ違いざまに話をした、、、臆病風に吹かれた男は山で事故に遭遇することは確率的に小さいだろうと思った。

一方、足元しか見ずにタイムを短縮しようという男は おそらく花も生物にも関心なく 「山は総体だ」と常々言ってる私からすれば 不幸だと思ってもみた(笑) かくいう私も山に登り始めた18歳のころはこんな感じで歩いていただろうか?いやいや二十歳前は駆け足で下山していた(笑) 今までもこれからも 何十何百もの人と交差し出会いもあろうというのに 「コースタイム命」で歩くことほど無碍なものはない。自分の興味(コースタイム)以外には目もくれぬという、山を始めたばかりの人に多い典型的パターンだ。 朝の9時なら、6時間もあれば充分なはずだが、実際このタイプに遭遇するとほとほと嫌になる(笑)、マージンの少なくなった人生を さらにつまらなくして何が楽しいというのだろう?


さて、話を戻そう。。。争奪地形が造った奇景、素晴らしい北石橋を眺めながら「かぼちゃ・きのこ スープ」を湯で溶いて昼の大休止。目の前には四度目の北石橋がある(夏道での登りは初めて)。葉が落ちカラッとした沢に細い一筋の流れをオーバーなほど大股で跨ぐ岩が面白い。静かに、自然の中に突如として姿を見せ、何とも言えない冷んやりした岩の語りかけである。紅葉の彩りの佳い石橋風景も賑やかでいいけれど、冬の覚悟を済ませ凜と佇む大岩のグレーな姿もいいものだ。対峙する岩と飽きもせず眺めていられる、この間合いが、なかなか渋く なんとも心地が宜しい(笑)
 
30分のランチを楽しんで、石橋上部のカケス沢右岸斜面を進む。そういえば 一高山の会の 芝崎 徹先生が、その著「宮城の名山」(河北新報社)で 「カケス沢」の語彙について語っていたっけ。カケス沢は鳥のカケスではなく、架け橋のカケハスからきていると・・・石橋のカケハスが短縮されてカケス、、、なるほどなあ、と思い出した。

すっかりガランとした、沢の下部まで見えすぎるほどに枯れてスッカスカの斜面がかえって足元を強張らせる。西日が射し込む斜面には点々と古ぼけたビニールテープが逆光でふわふわと白んじ靡いている。秋取峰への尾根筋にあがると「938m」の立杭がある、高度の真偽はともかくとして その背後の大東岳はすっかり葉が落ち白い肌のブナが斜面を埋め尽くしている。何よりも大きく、枯木立の山は堂々としていた。「藪なし」の秋取尾根1080m屈曲点でザックを置いて大休止した。大東岳を前にしてポットの湯を注いでコーヒーを啜りながら耳を澄ますと、天上は枯れ枝を渡るビョービョーとした風音がしきりで 「まもなく冬がやってくるぞ!」と覚悟を強いているようだった。今日は珍しく上着を一枚足した。

そこから望洋台方面へトラバ-スとなるのだが「竜駒の背坂」の手前、カケス沢左俣の源頭を渡るところで、斜面が凍っていてキックステップが利かず難儀した。足を蹴り込んでも 霜柱がぐちゃっとなるだけで その下の土は凍土のように硬かった。これからは軽アイゼンもザックに潜ませねばならんなぁ・・・そう思いながら ストックを突き刺し膝をも使ってw ずり落ちる斜面を通過した。

化物沢源頭部を斜上して糸岳への分岐に出た。ここでちょうど2時となり10分ほど休憩して二口林道へ、 山頂へは登らずに糸滝沢と二口本流の合流点を目指した。400mも降りきると二口林道には3時ちょい前だった。今日は 二口を横移動しながら裏磐司から表磐司へと存分に動けた、清々しい。二口本流の流れでタオルを絞り汗をふいたが 頬から耳、首筋はザラっとした感触があった。二口渓谷も半年ぶりだった。今日はマルゴさんの記事*を参考にしながら歩いた。次回は どこを歩こうか?「あの山に登ろう」をまた捲ってみようかな。

明日は家の階段を はたして 下りれるだろうか?www
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大東岳
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竜駒の背坂・・・《柴崎 徹 日本山岳会 寄稿論集》に 龍ヶ岳=旧糸岳に関する推考が載って居りました。それによりますと、糸岳の旧呼称:龍ヶ岳と龍駒(リュウカ? リュウマ?リュウバ?)との因果関係がありましたので、訂正いたします。故事に拠れば、、、二口峠にさしかかると荷駄を運ぶ馬が慄き滝に落ちるところから糸岳に棲む「龍駒の仕業」とされていたようです。糸岳山頂東面の笹薮帯は龍駒が食べた跡だそうです。一種のマタギ伝説のようですがこれに似た話は山形金山の竜馬山(りゅうばさん)にもあり内容は同じものでした。
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糸岳

昔、新人訓練で糸岳直下の藪をうまく処理して 頂上に一番近い位置に飛び出た新人を褒めてやったっけ。。。

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仙台神室 その昔 神仙岳もしくは仙人山 または大蕪岳と呼ばれていた

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三方倉山と日陰磐司 と「三神歩道」
ついでに三方倉山は三幅良山(さんふくらやま)、家形山は屋形峰(やかたみね)と記された。

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「のぞき」から 西磐司と三方倉山
西磐司正面壁でもっとも高さのある岩部を「鳩の胸」と呼ぶそうです なぜじゃろ?
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糸滝は向かって右側の「水流の中」を遡る、フェルトのフリクションだけでノーザイルで行ける。

*参考
南石橋・・・鳴虫沢上部にある石橋。僕個人としては、ローマのコロッセアムのように柱状節理が円形状に剥き出したまま並んでいる岩場があるので そちらの方が圧巻だと思います。残念ながら写真がないので、リンク先 torasan819 さんの「ブログ」に載っていますので時間があればお立ち寄りください。




































by tabi-syashin | 2014-11-08 23:39 | Mount Futakuchi | Trackback | Comments(7)