もぅ 12月

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SIGMA DP3 merrill 写真は馬ノ神岳。秋山沢は屏風を撮影するポイント地。雲間から漏れた光が 山野をサーチライトのように照らし出す。だんだんと秋山沢のススキと別荘とに渡ってくる いよいよシャッターチャンスだ!


遠刈田から秋山沢まで ロクスケを走らせた。
グレー一色な蔵王は雪が舞っていた。

もう師走 早いもんです。
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社員旅行のタイ1班はまもなく出発予定だが 
政変が予想されるので自分はキャンセルした。

クーデターの最中に観光だなんて ありえない。
国の統治を左右するとき物見遊山は失礼にあたると・・・。

会社としては旅行会社の催行を認めているようだが
3年前に 100名近くが撃たれて亡くなっているし
触らぬ神に祟りなし 今回も不参加を決め込んだ。

来年の催行があれば 申し込みたいが・・・、
会社側の都合に自分は合わせられなかった。

タイの政治情勢と観光とは 無関係とされてはいても
安全を望むことは理に適わないとでもいうのだろうか?

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by tabi-syashin | 2013-11-30 16:39 | Camera | Trackback | Comments(0)

FIAT 600 修理

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いよいよ寒くなってきた・・・ 
愛車たちのストーブリーグの季節がやってきた。

毎年この時期になると・・・ 
愛車の整備に盛り沢山の整備計画が妄想される(笑) 

夏場が過ぎたころに部品の調達が始まる。
秋には修理 塗装などの作業を依頼する算段が始まる。
或いは発注はとっくに済んでるが
海外から来ない部品にやきもきしてんじゃないのか? 
いずれ誰しもそんなとこだろう。

我家の愛嬌者、FIAT600は一昨年の暮れから・・・
既にストーブリーグ中で(笑)
サーキット走行後に発覚した油のリーク、
次に見つかったウォーターポンプからの漏れ、
他に 内装 外装 ブレーキなど着々と改修が為され 来春には完動品となる予定だ。 

この季節もっとも肝心なのは オリジナルな部品の調達に悩むこと。
新品部品がないならないで 
中古部品をあてがうか 国産部品の流用に頭を悩ますか・・・?
決めねばならん。 

今回ウォーターポンプ
純正パーツを探してもらった よくも見つかったものだ。
次に タイロッドエンド
この入荷でほぼ完成で全体的な見直しが終わりとなる。
これも3カ月探してもらって 純正をあてがった。

あとは・・・意外にも無いのがドアミラー。
これって ありそうでない・・・ って そんなこと自体が信じにくいのだが 
もともとイタリアではクリップミラーが多いというお国の事情もあるので、
英車ミニのパーツを応用するとかで 仕上げるしかない。
と思っていたが 
DATSUN 510型のクロームミラーがピッタシカンカン。

修理依頼先は“空冷のお助け茶屋”、「アトム」さん。
ここで難問が全てクリアできた。

ワーゲン以外にも ポルシェ 国産旧車 イタフラの名車が持ち込まれる。
以前、ミニのドア内張り修理を依頼したことがある。
その仕事ぶりが完璧だったので今回も安心して「アトム」さんに依頼した。

天井の剥がれ ドア内張りの貼り直し完璧仕上げ、、、さすがにワーゲンショップ。
より完璧な仕上げ、より60年代らしさ、見た目がキレイ、
そもそもオーナーである自分が新鮮な仕上がりに胸をときめかせている。

それなりに60年代の姿に戻るかな? 
来春までまだ時間があるのでたっぷり磨きあげるつもりだ。
ストーブリーグの妄想には金の算段も併せなくちゃ、、、
ここがけっこう痛いが、往時の名車に仕上げるには背に腹は代えられない。


2013年のHCCS以降、
エンジンに火を入れようとしたがスタータが動かず。。。
さっそくスターターを取り外して
西多賀の「高橋電装工業所」さんに修理依頼をした。

なんと持ち込み修理依頼から1週間ほどで出来上がってきた。
これで灯火類の不具合を除きほとんど心配がなくなった。
灯火類も配線から接点ソケットまで 基本を見直して完成している。




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by tabi-syashin | 2013-11-28 17:56 | Car | Trackback | Comments(0)

青の戸棚

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使い込まれ ところどころ擦り減って 渋い 
現役を退いた感ありありの くすんだ青色の戸棚。

岩出山の「ひとつぶ堂」さんに買い求められ 
カウンター横に定位置を確保し生気を戻している。

かつて エゲレスの農家が所有していたらしい。
「ひとつぶ堂」の店主は くすんだエゲレスの青に 
くすんだ「ザクロの赤」を添えた。 シックな色合わせだ。

お客さんから戴いたそうだが 
柚子の華やかな黄色が くすんだ青に浮いていた。

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PENTAX RICOH K3 DA35mm macro 
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by tabi-syashin | 2013-11-24 23:23 | Camera | Trackback | Comments(2)

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いずれにしても「ピークハント」にはこだわらない 充実感を得たら、即下山w 2013年の山はチョイ地味な山、泊れる山 選択条件は1000m越えで高嶺の花が一杯ある こと。
秋田・・・鳥海山 田代岳 藤里駒 秋田駒~乳頭 和賀 丁
山形・・・大朝日 障子 以東 祝瓶 神室 摩耶 北股 月山  
岩手・・・岩手山 早池峰 滝上~乳頭~黒湯 焼石 姫神 
宮城・・・南蔵王 屏風 不忘 栗駒~秣 雁戸 
福島・・・東大顛 三岩 窓明 会津駒 燧ケ岳 飯豊
新潟・・・平ヶ岳 越後駒 朳差 未丈 三面~道陸神峰
北ア・・・未踏という条件ならば、雲の平~高天原かな。
     もしくは 涸沢にテント張って2、3泊かな。

・・・ということで 思いついた山を書き連ね今年2013年は登ってきた。計画を実行に移そうとしたが意中の山は50%ほどで、かつ豪雨など悪天に晒された。

そこでまず2014年はあちこち登るのは億劫なのでテーマとなる山を2、3決めておきたい。一つは2013年同様に来年も朝日連峰に回帰すること(厳冬期と沢登りしか経験がなくて、夏道が未だよくわからないw)。もう一つは 小屋泊まり、テント泊を中心に計画すること。具体的には「八幡平」に中心軸を置きながら「たおやかな峰々」を目指す 「地味な山」という概念にも含まれるだろうし。さらに「会越」では越後駒。飯豊を考慮しながら朳差または北股あたりにも一山。反対に消去するなら秋田北部?さしずめ白神、田代と藤里駒ケ岳あたりは遠出して行く理由が定まらない。和賀からマンダノ沢を眺めながら羽後朝日までの稜線は是非に歩きたい。

となれば・・・
秋田・・・鳥海・丁山地 秋田八幡平 和賀・朝日
山形・・・朝日連峰 祝瓶 障子 麻耶 北股  
岩手・・・焼石 岩手八幡平 曲崎あたり
宮城・・・二口 栗駒 南蔵王   
福島・・・東大顛 栗子山塊 三岩・窓明  
新潟・・・越後駒 朳差 三面・道陸神峰


①日帰り山行は極力 小屋泊山行かテント泊山行に 切り替えたい。

②できる限り継続登山をし 早朝の空気や星降る夜など 山でしか味わえないことをして過ごそう。

日帰りの山行をいくら重ねても たった一泊の趣きにさえ敵わないことを実感している。山懐に泊まるという行為には奥深さがある、日帰りでは味わえない「山行の質」がそこにある。山を理解し付きあうには「山を知っている」というレベルから「山に親しんでいる」というレベルへ感覚を研ぎ澄ますことが必要だ。この歳になって「享楽」を山に求めることはありえないし、むしろ親密に山と向き合いたい。テント泊にて、焚き火を囲みながら「人生色々」を語り合いたいw

③考え方が古いかも?だが、そもそも 「山はオーソドックスなもの」

夏道、尾根歩きの「普段さ」に飽きて、刺激を求め岩場や滝場を登っても貴殿の身にプラスにはならない。なぜなら 山を歩くことに目覚めたのは中高年になってからであり、そもそも求めたのはクライマーではなかったはず。迷いは自身の培った山行スタイルに自信を持てていないことを意味する。ブログに公開すれば数年後、羞恥と自戒の念にとらわれ公開に終止符を打つようになってしまう。

岩屋に言わせれば 腹の出た中年男がメット被って岩にへばりついても・・・?だ。山小屋で焼肉大会を仕切ってる方がよほどお似合 と一刀両断。所詮 素人の真似ごと、大怪我する前に止めといた方がいいと私は思う。それより時間に余裕があるなら テント泊で静かな山を味わった方がよほど身丈に合っている。

④中高年には中高年なりの登り方がある、たまたま今はそれが見えていないだけ

クライマーにはそれなりの経験を培ってきた時間があり、裏打ちするスキルと体力があり、岩への執着心が基本的に一般ハイカーよりも断然に突出している。承知すべきは沢屋にも岩屋にも兼ね備わっているもの=数十年もの間に培った経験という暗黙知が潜む。それを素人が傍目で見様見真似で手に入れようとするのは土台無理な話。

それに気づいていたら 若い時分とっくに山岳会に入門していたはず。例えば、組織が窮屈だから?ソロとして今日まで登山を繰り返してきたんじゃなかったのか? 賢明であるなら「他所の世界」には手出しをしないことだ。岩屋も沢屋も夏道歩きも形態は違えど 山を味わうのは同じ。もともと観念に格差があるなんて愚かしいこと。

昔、「山と文学」というジャンルが成り立っていた。山はストイックな青年たちに支配されていた。ところが今じゃ コースタイム至上主義?トレイルラン?など「情感クソ食らえな?」筋トレ・スポーツマンばかりが登ってるイメージがある。そんな時だからこそ「オーソドックスに山を楽しむ」パターンがいいんじゃないかなぁ・・・と、これまた中高年の沢屋は思うのだが。
03月・・・北泉 豪士-置賜駒 磐司尾根
04月・・・北面白 糸岳 安達太良-箕輪
05月・・・三ッ岩-窓明 大東 南蔵王 
06月・・・焼石 栗駒-秣岳
07月・・・朝日古寺口-小朝日-大朝日 和賀
08月・・・朝日日暮沢口-竜門 秋田駒-乳頭
09月・・・朝日天狗口-障子 北股-地神
10月・・・朝日五味沢口-蛇引-大朝日-祝瓶 岩手八幡平
11月・・・朝日白兎口-葉山 麻耶(打上げ) 二口散策  


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by tabi-syashin | 2013-11-22 08:41 | Mount | Trackback | Comments(0)

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城郭(ジョウカゴ)朝日山です。あまり知られていない黒谷地内に立つ山。会津朝日岳が黒谷川を挟んですぐ隣りにある。

5月4日
昨夜からの天候悪化の兆しがあり、早朝5時の出発。下山ルートは計画通りに東西の城郭沢に挟まれた中間尾根を下ることで意思統一した。道産子嶋津が「これは?今朝だな・・・」 というんで 朝から緊張状態になってしまった。1380m地点手前の朝日沢が突き上げる小ピーク付近で 雪庇の上を行く明瞭な熊の足跡を見た。深く爪先が食い込んだ前脚の明瞭な足跡と歩幅のせまい浅い足跡が並んで 我々の行く先に進んでいるようだ。思いっきり笛を吹いた。全員呼子を持っているので交代で吹きながら登った。

1380mピークから城郭朝日の取り付きまで左斜面をトラバース気味にいき そこから一気のアルバイトである。もう登りはこれが最後だ。何か思いがあるのだろうか嶋津は誰にもトップを譲らず、テン場から130mの高差を確実に詰めてゆく。振り返ると ガクンと朝日沢源頭部の稜線が昨日のテン場まで続いている。火奴尾根(二重山稜で湿地になっているところから女陰のホトと名付けた)から立ち上がる大きな丸山岳から会津朝日岳、叶の高手まで視界が得られ視野に収められると最終目標地点である。「来年こそ丸山岳に登りたい」と幡野がいうので 「田子倉からのロングしかないな」と答えておいた。 

わずか20分で山頂を後にする。最初の斜面をケツグリ(尻セード)でいく。下山ルートは明瞭で雪も1000mあたりまで付いてるだろうと予測を立てた。左隣は急峻なルンゼを何本も西ノ沢に落としている。ようやく天気が昨日並に回復し右手の東ノ沢に日差しが差し込んでくると、暗い谷の斜面にポッポッとピンクの山桜が照らし出される。さらにポッポッと広がっている。陽光に包まれ新緑の世界も広がっている。足元に目をやると雪に倒されたマンサクの枝に黄色いチリチリの花がみっしりと付いている。光のクレパスは静かな谷あいにその絵心を描き出してゆく。

さてさてゆったりの構えはここまで。。。900mあたりから急に尾根は落ち込んでいく。シャクナゲやツツジにつかまっての藪懸垂となる。陽気につられたマムシがシャクナゲの葉っぱの上で日向ぼっこをしている。ここはそっと静かに懸垂してゆく。

山菜があちこちに顔を出す廃道に飛び出した。渡渉1回、スノーブリッジ1回こなして黒谷林道についた。お疲れさんの握手を求められ少々照れこくった。下山途中 山仕事のおじさんに助けられ軽トラックで車のデポ地まで送っていただいた。助かりました。汗くさい 無精ヒゲ面で恐縮した。心地よい春の風が無事の山行を癒してくれた。 
1994年 山行報告より
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三ツ岩岳をバックに 幡野 俺 嶋津 
あれ?、考えてみたら・・・御神楽下山遅れの三人組か? 颯爽としてるけどwww 
南会津は何度も足を運ばないと(土地勘がないと)・・・ 登れない山ばっか。

いちおう これで1992年以降1995年までの「南会津の山行記録」のうち 
未だ電子化していなかった「紙ベース」の記録は「電子媒体」化され
保存されることになる あと数編を残すけど 「南会津編」が終わった。 2013年11月 










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by tabi-syashin | 2013-11-22 07:43 | Mount M aizu | Trackback | Comments(0)

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5月3日 
朝5時 予定通りの交信時間。幡野の甲高い声がトランシーバーから転がり落ちてきた。妙に人懐こい声である。予定の確認をして朝食を済ませ6:30出発した。幡野たちはだいたい2時間で登ってくるだろうと踏んだのだが 三本山毛欅峠ではさらに1時間待つ羽目になる。

彼らは山毛欅沢の右岸から入り 途中から左手へ1235m地点目指して明瞭な道を急登してもらう予定だが それにしてもかかり過ぎである。(無線では丸山がバテ気味だといっていた)。それにしてもいい天気だ さすが幡野は晴れ男だ。彼との山行で大雨に当たったためしはない。

8:15合流 3時間ほどかかったのか。これからは4人で行動する。 途中の崩れた雪庇を避けるために藪に入るが しっかりとナタメが入っており易々と山毛欅澤山に立った。

振り返れば大きな山、三岩岳だ 東には七ガ岳 黒々とした大嵐山 見慣れたシルエットの田代山、帝釈山。とっておきのオレンジを皆で分けた。「迷いやすい地形・・・」という当初の心配は幡野マジックで吹き消され サングラスの似合うパーティになっていた。

次のピークは小手沢山。特徴的なピークでもないのにイメージの強い山頂で ダケカンバに囲まれた明るい山頂だ。東に古町丸山。昔懐かしい笊豆腐のような丸い山容を盛り上げている。ブナが古枝を落とし 実をまき散らして終えた殻を辺り一面に散らばせている中 なだらかな雪面を右に左に曲線状にとりながら T字路のように直角にぶつかるジャンクションに向かう。

右へ赤羽山 左へ恵羅窪山へのジャンクション。交代でステップを切りながら左寄りに進むと それに乗り上げ左へと曲がる。さらに藪を避けるため左の沢へ一旦下ってから恵羅窪山に立った。山頂はブナに囲まれたまるでアルシンド状の禿げた空間をもっている。

ここからは地形図通り4個ほど迷いやすいピークを越えねばならないが 1460mピーク手前で案の定 東へとコースを外れていく。そろそろ合流組の疲れが見えてきたかな。城郭朝日山がみえてきたのでこれ幸いと大休憩をとる。

倉谷川と黒谷川とに挟まれた稜線にどっしりと身構えた彼の山は 東面を朝日沢にその黒い岩裾を垂らし 600mほどの高差で大三角錐のようである。こちらから見れば荒々しい鬼神のように男性的なフォルムであるが逆に西面は女性的な柔軟さを持っている 不思議といえそう。 

丸山君が 「さっきまで白く見えていたのに 今は黒く見える」 などと言っている。遠目には雪の反射で白く見えるもんだよ などと先輩風を吹かせていってもしょうもないのでニヤニヤしながら聞いていた。 

さらに「俺のルーツだ」などと言っている 古町丸山と丸山岳に囲まれた今日のコースは丸山君のためにあったのか。 会津の山に不慣れな彼は特に印象深かったのかもしれない。今日は幡野が担いできたビールを飲みたいばっかりに 1353mの広い尾根にて行動終了とした。気仙沼の塩辛が披露されゆるゆると宴会は始まっていく。最後の500㏄の日本酒はサッと消えた。
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by tabi-syashin | 2013-11-20 14:58 | Mount M aizu | Trackback | Comments(0)

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三本山毛欅峠から遠望した。大戸沢、三岩、その右が窓明山
坪入山からのペイヴメントが稲子山を通って足元まで連なる。

5月2日
ガスが立ち込めるかどうかいまいちはっきりしない天気の中を出発する。ウソがとぼけた声で鳴いている。シラビソの途切れたところで眺めると、窓明山はすっかり雪庇の山と化している。東側の雪の切れた斜面から回り込んで山頂に立つと今日これからのルートが薄ぼんやりと見えている。

家向山から綺麗に延びた尾根が足もとまで来ている。坪入山から右手、東に稲子山までのルートが今日の行く手だ。ブナの街路樹を伴ったぺイヴメントが用意されていた。そのはるか向こうに御神楽岳もかすんで見えていたが この機のほか2度とシャッターチャンスは与えてもらえなかった。

窓明山をスタートして間もなく、女性だけのパーティとすれ違った。こちらの名を名乗ると当会の名を知っているらしく親しく情報交換できた。彼女たちは会津朝日から駒ヶ岳までの縦走予定で今朝は坪入山からのスタートであると言っていた。彼女たちのトレースを使わせていただき易々と坪入山に立つことができた。振り返ると窓明山はどっしりとした家形の山容を構えていた。

それにしても相棒はこの日の天気を恨んだに違いない、なんせこの日のために好きな山岳写真用に3㎏の撮影機材を持ち込んでいるからだ。あわせて健気にも日本酒と缶ビールとを絶ち 小さなウィスキーの小瓶に代え軽量化に神経を払って臨んだから推して知るべしというところであろうか。彼にとっては昨年の会津駒~三岩岳山行時の晴天があまりにも印象が強かっただけに 私としても申し訳ない気分だった。

悪天の為、坪入山からの観望をルート確認で終止させたあと 雪面の割れ目に気を付けながら一気に尻セードで山頂北端からぺイヴメントめがけて400mほど滑走した。雨具を着たままだったのでかなりのスピードで ほんの数十秒で肩まで下りてしまった。

コンター1400mあたりは温暖となり緊張感も薄らいだが本当はこれからが大変なのだ。目指す稲子山は明瞭な屋根型をしていて中間部に農家の煙抜きのようなポコンとした突起があるようだ。

ここは白い歩道入口でゆったりとした南会津のブナ林稜線漫歩となる。迷いやすい地形の1447m地点で山頂から続いていたスキーのトレースが消えていた。おそらく西ノ沢まで下っているのであろう。稲子山の取りつき手前1467m地点で休んでいると徐々にガスが立ち込めてきて我々が山頂に着いた途端ついに小雨交じりの濃霧となった。

稲子山三角点まで少々のヤブを漕いで 煙り抜きに見えた東面の崖の張り出し部分の頂点に立った。さてここからの下降点のサーチに不安を覚えたので ザックから20mロープをだし大袈裟ではあったが楢の枝にビレイをとり下降点を探した。

最初に立った位置は綺麗な急斜面の雪庇の真上だった。慌てて這い上がった。さらに数十m戻ってロープを出せば そこははたして綺麗なスロープでザイルを出している我々がアホみたいな正統派の下降点だった。

左手になる南東面の斜面が急なために滑落に注意しながら一気に下降していく。1460m地点、姫子松の数本立っている少し盛り上がり気味の尾根はここでコースを左右に二分する。右の尾根は南へ道行沢への下降点と思われた。

ここでは何度も何度も地形図を読み 不安ながらも左に折れた。少しの地形の変化や曲がり具合にも、いちいち立ち止まって地形図と睨み合った。今日は朝から高度計の補正を行っており先ほどの稲子山でも抜かりなくやっていたので確信はあった。

このようなガスのなかでは慎重すぎるほど慎重にやって間違いはないのである。最悪はルートを右へ 安越又川へ下りればいいとは思っていたのだが。ルートはこの日の最低地点1322mへと向かっていた。

「鞍部は風の通り道」のセオリー通り、5mほどの雪の壁になっておりピッケルでステップを切りながら乗越した。小沢山はすぐそこにあった。山頂部は楢の大木があり その部分に雪はなくテントサイトとしては好適地で三本山毛欅峠まで30分程のところであった。今日はやたらと神経を使ったので疲れてしまった。2:30であったがここまでとした。

ところがツェルトを張りながら何気なしに見上げた幹には「赤倉」と書かれたプレートが打ち付けられており、「いったいここはどこなんだ?」ということで慌ててしまった。地形図を広げ先ほどまでの行程を記憶とともに照合させた。

プレートには明大WVとも記されていた。迷惑な話も合ったものである。相棒の料理は合理的な雑煮餅だったが それにカレー粉をいれて食欲を強制的に出させてくれた。自慢の5年もの梅酒の水割りはスーッと疲れを取り除いてくれた。今夜の割り当て分 500㏄をペットボトルに入れた日本酒がこれまた旨かった。 1994 5月 山行記録より

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by tabi-syashin | 2013-11-20 14:56 | Mount M aizu | Trackback | Comments(0)

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三岩岳下降路より窓明山を臨む。

約35kmの行程になるのだろうか? まだ歩いていない会津朝日岳東部の連脈、もう一つの「朝日」という名のついた山、城郭朝日(ジョウカゴアサヒ)まで歩こうと・・・概括的な計画を雪の降る年末あたりから立てていた。その立案中で問題になった点はおおよそ4点ほどあった。

稲子山以降のコースは未知の山域。ガスにまかれたら地図と磁石、高度計に頼らねばならぬ。その中でも小手澤山から恵羅窪山に抜ける際のジャンクションの見極めは重要と思われた。三つめは城郭朝日岳からの下山ルートをどこに採ろうかということ。最後に 車輛を2台用意しなければならないことも 重要ポイントだった。さらに 間際になって幡野と丸山がコースの途中から合流したいので適切な合流点を教えてほしいと言ってきていた。残るは お天気である。

やっと取れた長期休暇にいつも期待をもって計画を立てる。それは数年来 己のうちに温め続けていたものである。それをビールの栓を抜くようにシュポッと取り出してゆくが、この思考や作業がたまらなく楽しい。わくわくするこの時点で ほぼ旅の主旋律は出来上がる。

マンネリとかメリハリがないとか人は言いがちだが 有名山指向や 難ルート指向 快楽的山登り イワナばかりに目が行くような鈞行登山などにうつつを抜かしていると・・・、その局面で刹那の満足は得られても永遠のテーマである「己の山」を考えるときに なんか空洞化した 実のない 生温いキャロットジュースのような山行の羅列に遭遇し焦燥を感ずるものだ。

そんなルーチンにはまらないためにも何年もの間 山行を夢想し温め続けてもいる 四十歳を超えた今も印象深い山行を企てるに十分な時間を日々の思索に宛がっている。今回のテーマは「ブナ林」 憧れのルートに山毛欅を添え「静かな山」なる形容詞をからませていくと主旋律をもとに楽曲は出来上がる。

5月1日
いつもの登山口 いつものルート 何ら変わり映えしないところから山行は始まる。違いは小豆温泉が新築中ということと いつも目いっぱい咲いているイワウチワが これからという事だけである。

ブナ平の手前で郡山山岳会の成田さんが秘蔵する写真、自然なタッチで漫画チックな 裸の男女が向き合っている そのセックスシンボルが誇張されたキリツケを 運よくカメラに収めることができた。

「いろりばた」72号に掲載された写真通りのブナの木が一本 目の前に偶然にも表れたとき 因縁めいたものを感ずることができた。 さすがに南会津だ!ムフムフといつも通りに三岩小屋までの高差1000mをクリアした。 1994 5月 山行記録より
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by tabi-syashin | 2013-11-20 14:54 | Mount M aizu | Trackback | Comments(0)

二口渓谷 晩秋散策

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磐司沢の紹介をしたので、ふと・・・天気もいいし愛車600に火を入れ表磐司まで行ってみようと思い立つ。磐司沢がどの辺かわからない人もいると思うけど おおよそは林道の「姉滝と二口本流を渡る橋の中間」あたり。何でもないような沢に気付くと思うけど、それが磐司沢ですよ。とまあ その辺も撮影したいと思っていたけど 先ず朝陽の表磐司を撮影してみようということでコンビニ弁当をもって糸滝沢まで歩いてきた。天気もよく ご夫婦連れやキャンパー、カメラマンなども多かった。せっかくだから西磐司まで歩くといい。少し寒いけどじんわり汗ばむ程度に歩けば運動にもなるし。

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上の写真が西磐司。下の写真は表磐司(右側)と西磐司(左側)が交差するところ。
この箇所に磐司沢が流れ、大滝が人目に触れず潜むところでもある。
この高さ100mもの岩の連なりは 延長なんと!3kmだそうである。
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馬の尻尾のような「糸滝沢」。50mザイルを張れば2ピッチで落ち口というか さらにまだ滑は上に続く。フェルト足袋のフリクションだけでも登れる。この右手(左岸側)を登ると望洋平でさらに行けば糸岳。もともと糸岳は龍ヶ峰もしくは龍ヶ岳だったそうで磐司磐三郎が伝説発祥の山・・・と深野稔生さんの著書「宮城の山ガイド」に案内されている。
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by tabi-syashin | 2013-11-19 00:39 | Mount Futakuchi | Trackback | Comments(0)

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今日の天気も昨日同様あまり良いとはいえないが晴れているうちに次へ進むことにした。ワンゲルのプレートから孫兵衛山方面へすすみ 葦の繁る地点から小さな沢状をゆき高度を上げる。藪は薄くどんどん上へとゆくが次の田代らしき所が分からない、迷いながらも辺りを透かすと右手がやはり明るかった。どうやら左に寄り過ぎてしまったらしい。右に修正すると やはり水芭蕉の葉がでてきて それに導かれるように金色になりつつある湿原が藪の間から見え隠れするようになった。

山犬田代からほんの20分ぐらい、七兵衛田代である。

ここまで来ると原生林の中は野生ばかりだという実感に包まれる。南北に長い 意外に乾燥した湿原だ。足元にウメバチソウはなくヒメシャクナゲの群生地である。もっとも7月から8月頭に来ないと このヒメシャクナゲでさえワタスゲなどの背高い花に身を隠すに違いない。この田代の西には孫兵衛山の一端がきれいに立って さらにその右手には黒岩山と思われる山が大きく立っている。そこはもう尾瀬沼だ。来春に孫兵衛山から長須ヶ玉山まで一気に滑り降りていく自分たちをイメージして 今回の湿原巡りは終わりにしようと思う。

エスケープにさきほどのゴキタ沢を採ったが すっかり伐採がすすみ刈られた小枝が沢筋にうずたかく積まれ ほとんど枝から枝へ渡るような状態で おそらく沢床はウィンチで引かれた木材によって崩され 滝さえも潰されてしまっているに違いない。ようやく実川右岸に降り立った。沢水で汗を流し様変わりしてしまった空間を 無為に眺めた。下山の途中 新潟北越製紙の伐採現場に着いた。ワイヤーが縦横に張り巡らされ伐採がこの実川の奥へと進められていることを知った。国立公園のすぐ隣りでこんな工事が堂々と進められていたとは驚いた。成田氏が書いた紀行文は3年前だから かなり工事の路程は延ばされたことだろうけれど 群馬県の大清水まで延長されればもう尾瀬は観光資源に全てがとって代わられ 本来の尾瀬を失うことになる。

今回の旅の終わりに 成田氏の紀行文から一文を添えたいと思う。

「一面 真っ白なワタスゲに被われ、白く染まった駿台田代に私は声もなく佇んだ。自然の造形は人間の想像をはるかに上回る。まるで神の世界だ。人間が足を踏み入れてよいのかと恐る恐る白い田代に分け入った。濃い緑の森に穴を開けたように湿原が広がっている。(郡山山岳会年報10号より)」 

七入りまでは ここから2時間。 今日も実川はドウドウと流れていた。 1994 山行記録より
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by tabi-syashin | 2013-11-16 21:10 | Mount M aizu | Trackback | Comments(0)