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宮城県美術館 ゴッホ展

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SIGMA DP3 Merrill
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SIGMA DP3 Merrill
ISO800 SS320 f5.6




天井の粒状感が気になるけど、ISOを上げないとブレちゃうので
敢えて「SIGMA的な設定」w 
DP3の画角だと壁際に立ってアレが限界で、
男の子の足まで 気が回らなかったのが正直なところw

「消失点」にこだわってカメラを構えていた所に、
前景となる人がフレームに入ってきたので「こりゃいい!」ということにw 
次に 意識して前景となる人を待ち構えていたら
男の子がたまたま来てフレームに収まったのがトップの写真。

画角の1/3ほど歩いた所でシャッターを切った。
スタイリッシュな女性だともっと良かったんだろうけど・・・、
ピンヒールなら吉?www




パリ印象派の画風、明るい色彩に影響された絵が心に残った。
パリ時代以降 南フランスのアルルに居住。
ゴーギャンと共同生活を始めたが、発作的にゴーギャンを襲い 
挙句自分の耳をそり落とすという素人の僕でさえ知ってる事件。
「癲癇」という病気だったそうで、
やがて青の「糸杉」を残してピストル自殺してしまうという結末。

画家になることを決意して
僅か10年、37歳の短い生涯の中で描いた800点もの絵。
アルルで描いた「耕された畑」「蟹」が展示され、
有名なヒマワリや糸杉の作風がそれらに表れていて印象的でした。

パリ時代の絵、形式性を重んじていた彼の絵を観ていたら、
解説に「パースペクティブ」という言葉が記されていて、、、
あっ!と我に戻って
写真をとってみたw 美術館のカフェテラス2枚。。。



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SIGMA DP3 Merrill



美術館って、もしくはそこに行くからといって、、
別に自分は気取ってるわけじゃない。
文化に触れるのは大切なワケアリと考えている。


つまり、山でも 車でも 音楽でも ただそれだけのためではない、
自分が持っている「文化度」という指数を維持するために
時間をとっているようなものなのだ、
ジャズも美術も小説も車も  自分の文化的尺度の一つと思ってる・・・、

それでなくとも
趣味の車だけじゃ埋まらないスペースが 底知れぬほどあるはず。
しかし、それとは真逆にどんどん時間はなくなるばかり。

「技量の要る山に興じるばかりが老後なのではない」、
年相応に文化度を磨く、これも自分の人生で「老ける」こととの
戦いのひとつなのだ。


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never forget



Goodbye b-road

ちょうど10年前の2009年9月から始めたブログですが、今回で終了することにしましたのでお知らせします。(8月末で削除します)

理由はいろいろありますが、家族の事情でこれまでのようにイギリスでの滞在、生活をベースにした活動ができなくなったことがあります。もっともこれは自分の年齢を考えるといつ急に様々な事情で同様のことが起きるかわからないわけで、持ち時間の問題です。次にぼくは東京にいてもほとんど撮るものがありませんので、ブログでもすぐにネタ切れになってしまいます。それからデジカメに少し疲れてきたのもあると思います。撮影に伴うデーター量もMBからGB、そしてTBさらにはどうなるんでしょうか?せっせと取り込んだデーター、実際は見返すこともなく次から次へと増えてしまうハードディスク、めったに使うこともないスキャナーやプリンター、高価でも期限切れになって積まれているプリンターインク、古いデジカメのバッテリーにコード類、まるでゴミ屋敷予備軍みたいです。10年間の自分とデジカメでの写真を振り返ると、恐ろしいような気もします。

止めようかどうしようかと何度も考えては引き延ばしてきましたが、最後にもらったコメントが良い引き金になってくれました。最後に上げた写真もこのところ取り組んできたタンバールの写真で、止めにふさわしい絵と自分では思います。訪問者の数も114万を超えて、もういいよと言ってるような気もしますし。ブログをやめたからと言って写真をやめるわけではありませんので、またどこかでお目にかかることがあるかもしれませんが、今は全く白紙です。

10年もの長い間 [b-road] を見て下さった多くの皆さんに心からお礼申し上げます、本当にありがとうございました。

さようなら。


# by b-road | 2019-08-21 14:50 | Trackback | Comments(50)



by tabi-syashin | 2013-06-30 17:57 | Art | Trackback | Comments(10)

とけないねぇ・・・雪

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この写真は焼石岳の残雪、末端がズタズタに切れている。 昼過ぎになると轟音をとどろかせるほど水量を増す沢も、早朝は雪解けが進まず水量は少ない。 この雪渓を地元の方々は平気で歩いていく。おそらく タケノコ採りの季節は藪の茂みに関心が行くばかりなのだろう。この写真の場合 沢のほぼ中心部を歩いている しかも二人の間隔がない。

夏の雪渓を歩くにはコツがある。真ん中を歩かないこと それと矛盾するようでもあるが 端っこを歩かないこと この2つが基本。この二人の場合、私の方から見て左へ(左岸側に) せめて2歩ほどずれてくれたら、さらに二人の間隔を3mほど空けてくれていたら「安全圏」だ。 尤も雪渓の歩き方・・・氷の薄い「沢の真ん中」を歩かないように教えるには「図解した看板を立てる」か「チラシに刷って登山者に配る」か。そこが山岳会も含めて観光課の責任というもの。



今年は梅雨に入らないので(18日に入ってたそうです スミマセンw)、雪解かしの雨が降らない。東北の山にはガッチリ雪が残ってしまって 花も咲かないし、まして 雪渓から落ちる人 雪渓で滑る人 落命する方が異常に多い。花が綺麗だからって 夏道通りに進めば危険が待ってるというのに 誰も「STOP」と云わない。先日 秋田駒ヶ岳の通称ムーミン谷で死亡事故がおきてしまった。

観光地の場合 「危険!通行禁止」の立て札は地元の観光課が立てる。 ムーミン谷降り口と馬場の小径からの登り口 この2か所の出入り口にそれが立てられないでいた これが今回の事故の「ヘンな仕組み」なのだ。登山客に来てもらいたいから、敢えて「危険」だなんて誰も口にしない。責任部署が責任を持って任に当たれば通行禁止のロープを貼ることぐらい簡単なことなのだが。

滑落事故の起きた男岳直下の40~60度近い斜面。ムーミン谷に下りてまもなくのところ。犠牲者は躓いて前のめりになって転倒、150mも滑落した。おそらくその滑走速度は時速40kmほど出ていたはず。救助ヘリでの当日搬送が困難で翌日搬送となったことから、天候はガスっていて もしかして犠牲者は雨具を着ていたかもしれない。とすれば滑落速度は60kmほどでバウンドしながら首の骨も折れ、岩塔で頭部を打ったのだと思う。死因は脳挫傷だ。今年に限っては消えない雪に事故がおきるのは時間の問題と思っていた。

どうしてもムーミン谷を通過したいというなら 「五百羅漢」を経由し男岳に上がる金十郎尾根にすべきと私ならそういう計画を立てる。経験者なら即判断できることだ。なのに通行禁止の看板が出ていない。経験者の助言により観光課が安全に誘導し そのうえでの自己責任論ならともかく 今回は昨年もそうであったようにルートは開放されたままなのである。素人が知らずに行ったその先で、悪魔が囁いたとでもいうのか?

昨年のムーミン谷は一面チングルマの絨毯だったが今年は氷が谷を埋めている。わずか一ヶ月の開花時期に合わせ 花を追い登山者がどんどんやってくる。既成事実とばかりに数珠繋ぎでピッケルやアイゼンなしに氷の上を登下降する。 責任ある立場 並びに 経験ある立場という点で 地元山岳会や山岳ガイドも含めこの事故の責任から逃れることはできないと私は思う。来年度には責任部署を明確にし、立ち入り許可条件などを決めて実施すれば死亡事故の教訓が活かせる。

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参考までに 地元田沢湖観光協会のブログをリンクします。
事故との関わりを持たずに 観光ホムペを運営することに ますます怒りを覚えてきました。
地元民からも疑問の声が上がっているというのに。。。

*** 仙北市の たっこちゃん情報 6/29 ***( ニュースの翌々日、仙北市観光課のブログ )
http://tazawako.blog.shinobi.jp/

こんにちは(ゆ)です

梅雨入りしましたが、週間天気予報を見ると
まだまだ晴れの日が続く仙北市!!!!

これはチャ~ンス☆
という事で、一昨日駒ヶ岳登山に行ってきました

お天気は最高!!!

今年は、例年に比べて残雪が多く
登山道にもまだ雪は残っていましたので
(*但しアイゼンなどは必要ありません)
道迷いや滑落にはご注意下さいね


お花はかなり咲いておりましたよ

マイナスイオンをたくさん吸いこんで
自然からたくさんパワーを頂いたので
今の(ゆ)は心も満タン

この感動を皆さまにもお届けします




●仙北市広報ウェブ。 ここもニュースの翌々日 しかも花の状況末尾に死亡事故の報告、、、
人の命よりも花、花、花である。 いい加減にしてくれないか?

*** 秋田駒ケ岳状況【6月29日(土)現在】*** ここもニュースの翌々日の広報。

【盛り】ムシトリスミレ、コミヤマハンショウヅル

【良い】ハクサンチドリ、ズダヤクシュ、マイヅルソウ、ツマトリソウ、キバナノコマノツメ、ミヤマダイコンソウ、タカネスミレ、イソツツジ、ゴゼンタチバナ、エゾツツジ、コマクサ、コケモモ、コバイケイソウ、サラサドウダン

【これから】コマクサ、コバイケイソウ、ハクサンシャクナゲ、オノエラン、アカモノ、ウラジロヨウラク

【終わり】ミヤマスミレ、シュジョウバカマ、タカネザクラ、ミツバオウレン、ムラサキヤシオツツジ、タカネスミレ

・馬場の小路(ムーミン谷) ⇒まだ木道には雪がかなり残っていますが、チングルマは咲いています(駒池の上部)。これから中旬くらいまで良いかと思います。

・焼森、大焼砂 ⇒タカネスミレは下りになりましたが、まだ目立っています。コマクサはかなり咲いてきました。

・6/26に男岳で滑落死亡事故が発生致しました。まだ残雪も多く残っておりますので、道迷いや滑落には十分ご注意下さい。
by tabi-syashin | 2013-06-28 22:10 | Mount | Trackback | Comments(0)

ブログ再編の為 既出の記事(2012年03月12日)を、 「そろそろ朝日にでかけるかシリーズ」 に組み込んでみた。これで、朝日に傾注していた昔日の在籍山岳会の様子が少しだけでも 関連付けて分かるはずだ。この再編集で「そろそろ朝日にでかけるかシリーズ③」の文中に出てくるリンク印*と照合するはずだ。

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机の奥から、珍しいネガフィルムが出てきた。どうやらY山岳会在籍時代の正月合宿出発模様らしい。1996.12.30、、、この年の正月合宿は例年の大井沢あたりではなく 夏と同じ山域、大鳥から しかも茶畑山からの以東岳ピストン山行だった。さっそくスキャナーで読み取り、デジタル化してみた。フィルムスキャナーは EPSON GTX820(6400dpi)。ゴミも映ってしまうが ゴミ取りの時間がないので勘忍ねがう。1枚目は山形県大鳥地区の旅館朝日屋。2枚目以降は朝日屋旅館から繁岡地区の最奥地点まで進み・・・、晩秋に依頼してあった民家の空き地に車をデポして、山行出発直前の装備を整えているところ だろうか。

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当時の仙台Y山岳会は会山行 個人山行ともに活発に計画されていて 会員数も現役会員・OBともに多く、良き時代だった。珍しいのは下の集合写真で・・・山岳会の歴代運営委員長が七人も写っている。夏の沢登りも冬のスキー山行も「朝日連峰」山域が多く組まれた時代。前年は八久和川水系湯井俣川で終始したと思うしその翌年も八久和だった。両年の股に挟んだ冬合宿も2年連続で朝日連峰 明けても暮れても朝日、朝日だった。。

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この翌々年の1998夏合宿中、八久和川の各支流に入渓中の各パーティに無線が飛んだ。「海外遠征中のSが遭難した」・・・、この写真の彼は微笑んではいるが。仙台からの急報伝令は早朝に仙台を発ち大井沢に出向き、障子ヶ岳に登って山頂から10時の定時交信に間に合ったというから さぞ心臓破りの任務だったことだろう。合宿3日目、既に八久和川から出合川の戸立沢に進んでいたパーティーは、無線受信後にオツボ峰経由大鳥池泊での下山計画に変更し、主流を辿るパーティは天狗角力取山の急登から竜ヶ岳経由でそれぞれ急ぎの下山となる。

Sが遭難した山は中央アジアのキルギスタンとタジキスタンとの国境にあって輸送経路がカザフスタンからウズベキスタンとキルギスタンを通過し、内戦中のタジキスタンとの国境線を軍用ヘリで通過しなければならんという所で これらの情勢が遺体の引き取りに相当な決意を覚悟させていた。結果は各国との了承をとり、さなかカザフ軍のヘリを飛ばすことになるわけだが。これが他国の領土をまたがって飛行する為に アラブゲリラとの予期せぬ戦闘など日本では考えられぬほどの危険性や事務手続きや国を相手の気遣いがあった。

遺体引き取りという遺族の意向に関わらず、現地で荼毘にふされるか 現地の葬儀形式に倣うかであったわけだが、遺族の要望どおりに遺体収容となれば必至の使命感が漂ったのも当然だった。それらを外務省に伝え現地の駐在員とのやりとりも不良な通信事情などもあってこれまた大変だった。アラブゲリラの戦局を掻い潜っての外務省カザフ大使館員の物怖じせぬ行動力や KDD電話交換手の現地語対応などにて念願の遺体収容ができたわけだが 外務省日本大使館ならびに関係各国の皆々さまには言葉に尽くせぬほどのお世話になった。当時を偲べば歯がゆかった自分が居て、今でも無性に涙がでてくる。
 
仙台での遭難対策本部を担う自分ゆえに経過を克明に覚えているわけだが ロシア語交じりの国際電話に苦労させられた、、、まるで通じないのだ。カザフスタン、、、じつに遠い国だった。一週間後、日航機が成田に到着した時には緊張から解放されてか 皆がいる前でボロボロと泣いてしまった。その後 カザフのとなり内戦中のタジキスタンで、お世話になったA大使館員が凶弾に倒れた・・・とNHKニュースで報じられた。Sの遭難から僅か数ヵ月後のことだった。

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この写真一枚が手元に残っていることで 当時の記憶が蘇ってくる。Sは塩釜高校教員として岩ヶ崎から転任したばかりだった。まあ 写真の威力とはそういうものなのだが、、、、その渦中に自分が居るということが事実を次代に残す役目を持たされたことにもなる。 これだから、とうてい写真は止められない。僕はこの遭対本部を終えてから数年間、 山に向かおうとさえ思わなくなってしまった。
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by tabi-syashin | 2013-06-24 13:34 | Mount Asahi | Trackback | Comments(0)

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市販の1/25000図  これをもって48歳になるあたりまで 未踏の谷に、山に分け入った。 
地図はもちろん平面だが  えんぴつで 水線(すいせん)を入れると・・・
山並みが浮き出て 尾根筋、谷筋が明瞭になる、、、「夢を手に入れる」ことを意味した。


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白滝登山口への林道入口には大きな伐り出し材が山積みされていた・・・ じつに圧倒された。

はじめて 朝日連峰に登ったのは大学1年次。 今から45年も昔w まだ18歳のガキタレだ。 小牛田町の学友タケシと吾妻連峰を縦走し 帰りの奥羽本線鈍行列車に揺られながら その夏の山行計画を打ち明けあった。 どうでもよい学生語りで 「朝日に行きたい」と自信ありげにタケシが言っていたのを真に受け いい加減な承諾で彼の構想実現が決まった。 

普通なら 吾妻の2泊山行直後だから ハイハイと聞き流すのだろうけれど それに自分の知識不足で朝日連峰が一体どこにあって どのような行程で 何が心をとらえるほど特徴的なのか まるで知らなかったので どうでもいい感じのOKOKの二つ返事だったと思う・・・? 板谷峠のスイッチバックあたりで睡魔が来てうつらうつら、福島駅で肩を叩かれ慌ててキスリングを担いで乗り換えるほど、いい加減な受け答えをしていたに違いなかった。 

吾妻連峰の次に朝日連峰そして安達太良と タケシの構想はどんどん広がっていくが 肝心の僕はといえばチンプンカンプンだったw まず 登山のガイドブックを読んでびっくりした。 山形の左沢線(あてらざわせん)で終点左沢までディーゼル機関車で行き そこから宮宿経由で朝日鉱泉まで小型のバスに乗るのだという。 が 夏季期間はほとんど毎週、登山バスは満員とかで乗れるかどうかが博打みたいなものだ とか。 とはいえ白滝まで臨時増発が出るというのでお盆の期間中なら行けそうだという知らせをタケシから受け 長井経由で左沢までとりあえず出てみることになる。もしも運よくバスに乗れたら、夏休み後半の日記は描かれるようになる らしいw (登山バス予約申込の往復はがきを出し返信が届いた、と連絡があった)

まあそんなわけで 初めての朝日なのだが相方タケシの思い入れにより実現したようなものだった。 入山は朝日鉱泉から、鳥原小屋で1泊目。翌日は以東小屋まで 最後の日は大鳥池から朝日屋経由で酒田まで。帰りは陸羽東線で帰仙 タケシとは小牛田で別れた記憶がある。 夜は飯盒炊き、朝ごはんも握った。 この山行で大朝日に初めて登ったがたいして感動はなかった。唯一の感動といえば、以東から見下ろした大鳥池かな。 ここで覚えた花がある マツムシソウだ。大群落が狐穴から以東までの間ずうっと一面紫に思えるほどワンサと咲いていた。きれいだったなぁ・・・。 

あの時代、山の価値観がレジャーとか趣味とかに明確に区別されていた時代だったと思う。ジャンルは 登山とハイキングぐらいだったと思う。あいまいなジャンル・カテゴリーはなく、単なるスポーツという評価ではけしてなく、思い入れや憧れやその人なりの背景などを背負って山に入ることが多かったように思う。「山と文学」という括り方も確立されていた時代だったと思う。 ましてや トレラン? 山小屋で宴会? ないないwそんなのあるわけない(笑)三人寄れば山岳会などと言われた時代、ほとんどが登攀ルートの開拓に関心が向いていた時代、、、こだわりといえば「山行は山小屋泊まり」それと「小説文庫本携行」だったということぐらいかな。昔はストイックな青年が山や谷に入っていたんだ。

酒もタバコもやらぬタケシ。毎日学ラン着て黒い革靴で一見右翼のようにみえたが 実に真面目で嘘をつかない男だった。上記の吾妻連峰縦走の前夜、我家に前泊したがうちの親も驚くほど律儀だった。そんなタケシも 5年前、山の彼方に旅立ってしまった。

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by tabi-syashin | 2013-06-23 16:07 | Mount Asahi | Trackback | Comments(0)

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PENTAX K5 , DA18-135 朝日鉱泉ナチュラリストの家

昔語り・・・。

最近・・・このブログ 昔語りが増えたね? と言われたw でもね どんな形や容姿で山に入るんだろう?とか食事はどうしてるんだろう?とか 思い浮かんだ読み手の問いに一つ一つ答えるのはケッコウ面倒なもの。昔語りのついでにブログに記録しちゃおうと思ったわけ。 そもそも車仲間に向かって 山の話をすること自体が違和感だらけだけど・・・w

なんでも伝えておかないと僕の半生を知らずに暮らす人も(今後)現れないとも限らないのでw 僕がどんな人物で 若かりし頃 脂の乗った頃 イッズミーを提起する10数年前まで・・・どんな風に生存してきたかを記録して置こうと思う。まさに自分録だけど これといった遺産もないのでせめて自叙伝風 ^~^
 
公に晒すことが どれほどの愚挙か百も承知だけど このどこか一部にw 真実が転がっていれば読み手には伝わるかな?と思っている。ブログを捲りながら僕や僕の仲間たちを知ってもらえればこのブログの役目は充分かなとも思っている。それは自分の為の記録でもあるけど 僕を知りたいと思う人の為にでもあるだろうし このブログを書いて 僕の体温・体臭が伝わればいいや そう思っている。なので今年は いや来年もしばらくは昔語りになるのかなと思ってるのでヨロシク。そういった意味で朝日連峰というのは 心に大きく残っているし 人間の強さという意味で精神面での影響が大きかったと思っている。

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by tabi-syashin | 2013-06-22 13:38 | Mount Asahi | Trackback | Comments(0)

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八久和(ヤクワ)には何回通っただろう、鱒渕から八久和峠を越えダムの湖岸を走った記憶が今も鮮明だ。仙台を夜9時に出ると現地着はいつも深夜。ダムサイトにブルーシートを敷いて入山祝いをする。満天の星、人工衛星が確認できるほど奥深い地の闇は深い。静かに明日の山行を確認する。2時間も経過しないうちにシュラフカバー1枚で仮眠する。 時おり、露除けのタープを掛けてゴロ寝だ。

夏合宿初日の朝。3時間ほどの仮眠を終え各自で朝食を済ませ 6時には出発。それぞれ担当の枝沢に入るのが8時ごろかな。初日は午後3時までに早めにベースキャンプに戻り、食当から一日分の酒の個人割当て分(ビールなら2本くらい)をもらって沢に浸け冷やす。ついでに皆で流木を集め焚火の準備をする。太い丸太はノコギリで切って火床にするまでが全員の仕事。それから火を熾す人、食事担当とがそれぞれ任務をこなす・・・担当は前週の例会時に発表される。

要するに 山岳会と称する所はそういう不文律めいたものがあって粛々と各自が準備をし 共同で一日の山行をこなす所だと思ってくれたらいい。 焚火を熾すのも全員の仕事だ。 雨の中でも雪の上でも焚火はできる。新人には先輩から指導 技の伝授があり そこで新人たちは雨降る沢での焚火を覚えていく。 
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シバ(柴木)という細い枝を中に包み込むように だんだんと太い枝が組まれる。 火を薪の芯にあるシバに点け 火が点いたら組んだ焚き木をギュッと縛るように素手でまとめ押さえる。 最初の煙が出て来るまでジッとし組み上げた薪を押さえつける。 この時ばかりは皆で集中する やがて、煙が目にしみるように黄色くなる それが白く変化するようになると ボッ!と 最初の炎が勢いよく立つ。 ついでに、風上となる上流側から川下へ火が着くように薪の向き 風の流れに沿うように薪を置くなど工夫すれば 簡単に焚火は完成する。風下に座るのはいつも新人さんだ。

それから誤解があろうかと思われるので一言。ザックの軽量化とアルコールの量はやはり関連付けがあって 大酒のみは軽量化に倣った彼なりのアルコールを運び上げてくるw とにかく火の消えない限り持ち寄った酒も続く というか明日の分量を残し酒宴はオヒラキする。酒は合宿参加人数に比例して出てくるものだ。 でも 焼き肉の類は一切ないw あるのは玉ねぎ これをホイルに包んで火床の側に置いとくだけ。数分でできあがる バターか醤油か塩か味噌をつければ美味しい肴になるw。 じつに質素なものだ。

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by tabi-syashin | 2013-06-21 11:11 | Mount Asahi | Trackback | Comments(0)

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小桧原川(コヒバラガワ)の向こうが湯井俣川(ユイマタガワ)。茂松沢から離森(ハナレモリ)に登って鍋森(ナベモリ)へと続く草原を確かめ北沢 楢山沢など向こう側の谷を降りてきた。50mもの直瀑、白糸滝沢も登攀した。北ノ沢、オリト沢、南ノ沢で赤見堂に出るし湯井俣川源頭で枯松山に出る。 夏合宿で湯井俣流域の枝沢ほとんどを踏査した、慣れ親しんだ流れだ。その左に丸森山、それを挟んで八久和川(ヤクワガワ)が出合川(デヤガワ)と名前を変えてずうっとこちらの紫ナデの北側にまで食い込んでいる。紫ナデの対岸は以東・エズラ・茶畑山だ。その頃、会の夏合宿では八久和流域の完結を目指していた。結果は海外遠征組の遭難事故*発生により緊急招集がかかり平七沢を辿って終わっている。翌年に完結できたはず、一度でいいので狐穴小屋(キツネアナ)にソロリと沢姿で現れてみたかったw しかし、あの海外組の遭難事故以来、僕はほとんど山に行かなくなった。遭難対策連絡本部を一月近く務め上げて 魂のほとんどを燃やしてしまったようだ。

月山の手前に赤見堂(アカミドウ)、その左手奥に離森(ハナレモリ) 鍋森(ナベモリ)、右手に石見堂(イシミドウ)が横たわっている。高安山~茶畑~以東と雪の紋様が虎斑のようになってるはずだ。朝日の稜線はたおやかで東北の峰々という感じ・・・離森の草原と池塘や赤見堂までのコンモリ感など地図を見ながら何とも言えない気分になる。

丸森山の左向こうにムカゲ沢を抱えて高安山が構えている。八久和川の入口に構える綺麗な山だ。朝日軍道の北端部、高安山のムカゲ沢遡行、最後の詰めが泥壁となりハンマーを打ち込みながら木の根を掴んで登った。フタマツ沢を下降する前に、灯明岩を左に見ながら眼下に八久和の流れを障子ヶ岳方面まで目で追った。その時は、一言 遠いなぁ・・・と思ったものだった。そういえば北面の高安沢での滝の捲きで落石に遭い、足の親指にヒビが入ったっけ。

まあ いずれも20年以上もの時間が経過している懐かしい山たちだ。果たして全座指呼できるかどうか?行ってみないことにはわからんw。そろそろ準備をしないといかんなぁ・・・。

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毎年冬合宿の準備で車のデポ地を確保するため現地に赴き、氏子世話役さんに神社前の空き地の使用を許可していただく。これで安心して3泊~4泊できる。ここ根子集落では、時々車の周りの除雪もされていたりして大感謝なのである。ここから日暮沢小屋まで7kmの雪道をラッセルで歩き通す。途中の堰堤で約半分、休憩だ。その後の詰めは日暮沢までだが、、、天候次第では小屋に泊まる覚悟もできていた。なんせ竜門尾根のラッセルが任務なので 清太岩まではなんとしてでもラッセルを済ませるのが循環尾根パーティを迎える日帰り組のド根性だ。 

ここ清太岩尾根で新入会員を一人、確保した。どういうわけか冬の朝日に単独で入山してくる若者がいて・・・、ずっと俺たちのラッセル跡を辿ってきたという。ゴロビツ辺りで斜度が増しさらに降ったばかりのモナカ、、、 ピッケルを持った両手で斜面の雪を腰の辺りに掻い込んで その雪を右膝、左膝とで圧し固め 右足左足を置き一段上へと登ってゆく。なかなか固まらぬわ 気を抜けば踏み抜くわ で遅々として進まぬラッセルだったが 一人100mのラッセル任務を難なくこなす若者は大歓迎だった。5名が順繰りでラッセルするので一巡で300mは確実に進む。 

翌週の火曜日、例会に彼はやってきた。東北大OB安田くん。勧誘したのは私だったので教育するのも私。当時 新入会員が5人もいたので全員まとめて「沢登りの楽しさ」を教えてきた。その後、どの沢にもどの冬山にも夏も冬の合宿も一緒で、ほとんどでザイルを結んでいる。翌年の夏、3ケタ高度の出羽丘陵弁慶山に遊んだ事や 最高の夏合宿を丁山地で過ごせたこと 秋の虎毛山集中山行などなど 山行企画担当として良き思い出になった ありがたく思っている。
















 
by tabi-syashin | 2013-06-21 10:17 | Mount Asahi | Trackback | Comments(0)

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大井沢手前の大桧原橋から上流を見あげた。


紫ナデ・・・、その眼下東方に大桧原川が流れる。 YMCA山岳会の岸先輩と生前にこの沢を登った。あの年も雪が大量に残り、沢登りというより水が滴る雪渓のトンネル潜りだった。息を殺し忍者のごとく素早く パシャパシャパシャっと30mほどのトンネルを走り抜けるのだが 何度やっても生きた心地がしなかった。雪渓の薄いところはトンネルも明るいのだが それは早めに崩れ落ちることを意味する。ヒヤヒヤ度が急に増す。

上部雪渓が途中切れた所に5mほどの滝があっただけ。そこから雪渓上に這い上がるのだがシュルンドの壁は氷で磨かれ難易度が高かった。 やがて雪渓は角度を増しながら起きてくる。紫ナデはもう少しだ。雪渓の冷気で沢にモヤが立ちこめる。僅か数mほどの視界の中、上部から塊が何個も何個も転がり落ちてくる。何やら静かにしなやかに回転しながら下流へと落ちてくる。そのどれもが同じリズムでクルクルコロコロヒタヒタと回転しながら落ちてくる。落石なら理解できるんだが、、、じつはその正体は枯れ草。とても不思議な動きだった。スプーンカットに抉られた雪渓を止まりも淀みもせずクルクル転がり落ちる様はまさにアートだった。

大桧原川の向こうに小桧原川。この二つを繋ぐと面白い山行ができた。なんと 3度も辿っていたw 小桧原を遡上し 石見堂山の南面、小桧原川がグッと狭くなる辺りに 難しい滝が一ヶ所出る。 じつはこの難しい滝だが落ち口まで大ジャンプが待っている。ジャンプできないモノは右側壁をへつる様にクリアしなければならない。2度目の遡行時、ここで、我がパーティで1回 他のパーティでも1回 宙づり事故になった過去がある。宙吊りの女性会員を落ち口まで引き上げ事なきを得たが、別パーティではロープを切って宙づり者を滝壺に落とし 補助ザイルで救助するというオチが付いている。肥った者には実に厄介な滝だけど一度はクリアしてみたいという肝試しみたいな魅力があるw 

その難しい滝を越えるとやがて赤見堂山の直下に至る。直下手前、左から横沢が入り静かな稜線近くの幕営となる。源頭近くで稜線がくっきり見え、よい所だった。焚き火を焚いて酒を交わし宙吊り者を元気づけた。初回遡行時、夜を明かすと・・・枯松山稜線の辺りは草原となり朝日がさしていた。小桧原山手前源流で二日目の水を汲もうとすると、ダイモンジ草の仲間で褐色の花をつけるクロクモソウが小さな花を咲かせていた。その草原にカモシカがいた。彼の灰色の体毛が朝日を背に受け金色になった。我らの向うには離森 鍋森 赤見堂の稜線が囲む。

しかし、草原の頂陵1327m峰(赤見堂山と枯松山との中間峰)の肩を越えると状況は激変する。いやはや横沢までのたおやかさは東側の斜面に下りた途端に途切れ滝が壁土を削って地崩れを起こしていた。30mほどの懸垂下降を数回でトッサカ沢に降りる。トッサカ沢も小さな流れだがやがて大桧原川に下り流れの速さを増す。小桧原から大桧原を循環し右岸岩棚をクリアしダムを左岸から亘ると桧原集落に戻ってこれ 一泊二日の山行は完結する。

ついでに枯松沢にも挑んだが 末端は大きな岩が崩れており登る意欲もわかぬほど荒れていた。

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障子ヶ岳登山口のホウチャクソウ


















 
by tabi-syashin | 2013-06-21 10:14 | Mount Asahi | Trackback | Comments(0)

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根子川 掛けられたであろう旧根子川橋のコンクリート橋脚


今年の残雪が半端なく残っていて 今もムーミン谷(秋田駒)山行の可能性を調べている。今年、駒池の雪田が消えるのは7月になってからと踏んで、7月1週目は駒池の花は絨毯状にはならないと読む。予定を変えて金十郎尾根の女岳外周をグルッと回った方が静かでいいかもしれない。秋田駒の尾根道の雪は消えたのに、肝心の雪田下の花々が咲かないことには・・・。とはいえ狙いはエゾツツジ、花期が遅いので助かってはいるのだが女岳噴火の前に登っておきたいw

で、今夏は焼石 秋田駒 秋には朝日が狙いなので、秋山予定の朝日をそろそろ頭の隅に設えようかという頃あいとなる。ちょいと「紫ナデ」までいって障子の岩肌と滝 雪の落ちた谷の姿 咲き初めのヒメサユリでも撮ってこようかと思ってる。

1/25000地形図を前にしばし黙考。日帰り偵察だけなのだが 手に取る地図の擦れた折り目からは幾重もの想い出の波が押し寄せる。20数年経過した、黄ばんだ地形図に浸みこんだ 山への想い・・・、書き込んだ「水線」(スイセン)を追えば夢見る沢登りが計画され、また尾根伝いに赤線を追えば冬の稜線に思いが入れ替わる。


眼をつむると既に紫ナデに立つ自分があるw。 あれから、もう  20年、、、。

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カラマツソウ
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出谷吹沢手前の山毛欅林の登山道
by tabi-syashin | 2013-06-20 14:37 | Mount Asahi | Trackback | Comments(0)

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朝の7時、銀名水小屋の雪渓。
100mくらいはあるのか?ヒンヤリした空気が流れていて 気持ちよかったw


今回のコースは 途中に雪渓やスノーブリッジや雪田などがあったりしたけど
基本的に30分ずつ、区切りのつけ易いコースだった と思っている。

駐車場>中沼=30分 >上沼=撮影しながら20分 >銀名水=30分 
>姥石平南端(1338m地点)=40分 >姥石像=撮影しながら30分 

途中に何もなく、単調な森林歩き・・・というのが無く 前半は森林と沼、中半の小屋からは雪 
さらに後半はゴーロと小川で 最後が花畑。こんな風にロケーションに区切りが付けられる。
リズムも大事だし アソコまで行けば××がある というように目標が付けやすかった。

いつも出だしから 初っ端の汗をかくまでがワンタームと癖がついてるが 
今回は、、、 自分の発汗具合よりも 目標地点毎に休憩が摂れたので とても登りやすかった。

こんな風に 事前に休憩ポイントと時間の勘案を済ませうることも 安心登山には必要だ。
他の先行者に流されず 自分でペースを作ることが山登りでは大事・・・ ここが重要ポイント。

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by tabi-syashin | 2013-06-18 22:44 | Mount Yakeisi | Trackback | Comments(0)