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栃尾又温泉 ~ R352

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尾瀬の帰り、いつもならササッと桧枝岐で汗を流して帰るのだが、御池からR352を逆走し栃尾又温泉に向かった。雪崩に磨きこまれスラブを成す急峻な岩肌と 何十本もの奥只見湖に流れ込む沢とでR352は構成されていた。

大きく入りこんだ平ヶ岳への夏道登山口、今は懐かしい平ヶ岳への沢登りルートである恋ノ岐沢を通過し 再び大きくいりこんだ中ノ岐沢を通過し 小さな沢を越えるたびに何度も何度も奥まった沢に向かって入り込む山岳ルートを辿る いい加減、一時間も同じ景色に飽きていた。

話はそれるが、恋ノ岐沢は50mほどの滑滝が1か所あるだけで、ロープの装備さえあれば難しくはない。本流を詰めれば明るいハイマツ帯でそれを漕げば池ノ岳直下の登山道に飛び出る。沢中泊で夏に登るにはピッタシの沢コースだ。緊急時のエスケープはオホコ沢も使えるし 以降は右岸支流にある。

話しを戻して、、、茶黒く色を変えた雪渓が刻む スラブ状の岩肌を眺めながら銀山平へ向かっている途中で、タイヤを飛ばし立ち往生していた旧車に出くわした。ロータス23Bだった。行き交う車もほとんどない山中で、ポツネンと一人で佇む姿に一声かけずにはいられなかった。

たった今 新潟からの部品の到着を受けとるために仲間が下って行ったと元気そうに言ってた。東京なら3時間は待ちだ。激しいワインディングロードで ホイールのセンターロックが緩んでスピナーがすっ飛んだに違いない。その後 銀山平の船着場付近で仲間のケータハム、バーキンセブンと出逢い 二言三言。

ロータスで遠征するには・・・この道の段差はきついヨ、腹をこするしお奨めじゃないネ と言ったら もうかなり擦った いま引き返すところだっ、さすがに東京ナンバーらしい返答だった。余裕だね こんな山道を飛ばすんだから、かなりの無鉄砲中年だ。でもサバサバしていて好ましい。

銀山平から枝折峠まで下れば越後駒ヶ岳の登山口だ。平ヶ岳 荒沢岳 駒ヶ岳 八海山 中ノ岳 魚沼の名峰が連ねる。そんなこんなで眠気もとれたし 銀山平からシルバーラインに入り長い長いトンネルを大湯温泉まで20分ほどくだる。

大湯に出て、再び旧酷道?を桧枝岐方面に返すと5分ほどで栃尾又だ。さすがに昔と違って立派な温泉郷だ。関東圏の車がずらり。今夜の宿は宝厳堂(ほうがんどう)旅館、すぐにそれとわかった。
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by tabi-syashin | 2011-07-29 18:13 | Niigaa | Trackback | Comments(0)

桧枝岐に今季三度目の足跡を残す自分は、一体どんな記憶を記念樹にしたいのやら。

昔から 同じ山を何度も何度も 繰り返し登るのが自分流。同じ山に登ることで その山と向き合っているという実感が満足に繋がっていた。沢登りには登山道みたいなものがないから どの沢からでも山頂に立てる 結果、何度も沢を変え同じ山に登ることになる。さもない藪山も登るうちに親しみの湧く山、記憶に残る山になってくる。最終的に 記憶の記念樹としての条件がそろうわけだ。。。

では逆の発想で 記憶の記念樹を植えんが為に 名山に登るとなると、、、いまいち下手くそかも。あっちの山 こっちの山と全国の名山を追いかける?一度登ればサヨナラ? そんな風に割り切れない自分だから やがて不満足になる。名山の山頂に立てば立ったで ついあの沢筋にはどんな滝があるのだろう?藪をこぐならあのルートだな? という具合に考えてしまって せっかくの名山も台無し、、、不満の記憶?こんなもんにしかならない。

なんせ昔からこんな方法で山をやってきたから たぶんこれからも地味な東北の山に 小さな「記憶の記念樹」を植えることしかできんだろう。

名山といえば、、、北アルプスだけには行くんだよネ。。。 何故かって? そりゃぁ あそこのどこかで生き倒れになっても 誰かが助けを呼んでくれるからさネ(笑)

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by tabi-syashin | 2011-07-26 17:52 | Utukusima | Trackback | Comments(0)

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有名山に登って、記念樹のような「記憶の標識」を立てることが最近多くなった。

誰しも、流れる時間を先の先まで読み取れる人はいない。人生の先の方、未来を見通す力は誰しもないものだ。じゃあ、過去ならどうかというと、それなら簡単に振り返ることができる。なので老後には「記憶の標識」めいたものが欲しくなる。分かりやすく区切ったその標識一本ごとに未完の人生を完成へと近づけるわけだ。

振り返れば・・・人生の節目をそのつど祝ったり味わったりしてこなかった、ただただ走るだけの人生、、、それに愛想を尽かした団塊世代が 己の「記憶の標識」の少なさに気づき 「余生を有効に過ごしたい」と一様に焦るのには そういう事情があるのかもしれない。

だからといって・・・いきなり深田久弥の百名山や海外の山でなくともいいだろうに、と東北の藪山ばかり歩いてきた私などは思うのだが 百名山志向の方に云わせれば、それはやはり名山であればあるほど記憶の襞に刻まれるものは深いもの? らしい。まして友達の少なくなる末期を考えれば なお淋しい。ならば、名山も海外へも同好の仲間とでかけよう みんなで渡れば怖くない 団塊の初老たちはこのように考えるらしい。
  
若い時分は今日この日の記憶など 翌日の記憶があっさり塗り替えるものと思っていたのだが、「時間はまだある、次回にやろう」と高をくくっていると・・・いつしか途端に還暦だ。一日一日が大切になり もう一度登ってみたいと焦がれる山への想いは 喉を乾かす熱砂のようにもなり、人生の終わり加減にひと花咲かせたいと思うようにもなるのである。

団塊の男たちは大抵そのような「できなかった やり残した」などを心に宿しているものである。分かっているのは 若い日の記憶や、「あんときの体力」との戦いになるだろうということ。それはガッカリもさせられるが、還暦の身にとって今を知るのは重要であり、大袈裟にいえば過去と今との真剣勝負のようなもの。終焉の渕に誘いだされた人間の「ひと花」を如何に美しく咲かせるか 自己体力との競い合いみたいなものだ・・・(笑)

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というわけで・・・今年の春に計画した「月山 鳥海山 早池峰 会津駒ヶ岳」の中から後ろの2座を選んだ。去年の燧ケ岳の時にも同じことを言ってたが、進歩がないなぁ。もっとも、還暦の身に進歩という文字は超革新的ではあるのだが、当然ここは「維持」であっても一本勝負なのである。

ほとほと山歩きに馴れない身になった。30年前に登った山、早池峰山は今にも崩れ落ちんばかりに頭上に覆いかぶさってくる岩山だが、2時間半とも3時間半ともいわれるこの山の河原ノ坊コースを まさかの4時間半もかけて登るとは・・・。こうなる計算ができるのであればもっと楽な小田越えコースにしたものを、若い時分の記憶が河原ノ坊コースを選ばせていた。勝負する前に、既に「過去の気概」に負けていたのだ(笑)悔しいが昔の記憶でいけば「こうなるはずではなかった」。今にし思えば「これが現実なのだ」ということで これはこれで得心なのだと思う。

体力や視力が落ちているんだと片付ければそれでも済むが 写真の撮りだめに1時間は掛かっているので少し負け惜しみを含み まあこんなものかと諦めもつく。。。それにしても膝が笑った。特産種の花を撮影しては登り また可憐さを撮っては登る・・・、この繰り返しであったが そのスローペースが良くなかったかも。次回こそ、何事もなく「過去」同様に登りきったら・・・、温泉に浸かりながら 山の反芻を肴に冷たいビールで祝杯をあげるつもりだ(コンチクショーめ)

イブキジャコウソウ
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by tabi-syashin | 2011-07-19 15:27 | Iwaten | Trackback | Comments(0)

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思いはあっても、きっかけがつかめず、踏み出せないでいるのだろう。

岩手、宮城、福島の3県で活動する「震災ボランティア」の参加者数が伸び悩んでいる。内閣府によると、発生から3カ月の延べ人数は約40万人で、阪神大震災の3分の1程度にとどまっている。

 壊滅的な打撃を受けた地元の態勢が整わず、当初、県外の支援者を受け入れなかった事情がある。
被災地が阪神と違って大都市圏から遠く、移動手段の確保がままならない上、原発の絡む複合災害が尻込みさせている面もあるかもしれない。 震災の発生形態が大きく異なり、単純に数字を比較しても意味はない。ただ、今なお、がれきが残り、片付けの済んでいない被災地が少なくない。

ボランティア派遣の依頼件数は減少傾向とされるが、手助けが必要な状況は続いている。 ここは若者、とりわけ体力があり、柔軟に考え機敏に動ける学生の出番である。間もなく長い夏休みを迎える。時間はたっぷりある。現地に足を運び、苦難に直面している被災者に寄り添い、汗をかいてほしい。

これからの社会で重要性を増す「共助」の意味を実体験できる絶好の機会でもある。 感受性豊かな若者が得るものは多い。自然との向き合い方を学び、人のための行為がもたらす喜びの大きさを知り、見えなかった世界が見えてきて、人生観、仕事観が変わるほどの影響を受けることもあるだろう。 

ボランティアに対する認識が社会的に深まっている。若者らは「無縁社会」に疑問を感じ、絆を強めたい欲求を抱えているはずだ。周囲が舞台を用意し、そっと背中を押すだけでいい。 準備はいる。周到であれば、それだけ持ち帰るものも大きい。とはいえ、必要以上に考え込まずに飛び込んでみる、ある種の気楽さも欠かせない。やれることを無理なく、である。

 文科省は単位認定を含め学生が支援活動に参加しやすい環境づくりを進めるよう、各大学に要請した。教育的効果が見込まれ、社会貢献策としてもアピールできるだけに、大学の取り組みも徐々に活発化している。 例えば、岩手県立大は被災地に全国の学生ボランティアを派遣する計画を発表。26日から9月27日までの9週間、7泊8日の日程で、毎回100~150人規模の学生を送り込む。

 日本赤十字秋田看護大と同短大は、約15人を交代で岩手県内の避難所に派遣している。8月上旬まで3泊4日の日程で滞在し、食事の準備などを担う。 山形大は東北芸工大と合同で、ほぼ毎週土曜日、宮城県内でがれき撤去、清掃などの日帰り奉仕作業を行っているという。 手始めにこうした大学のプログラムを利用するほか、学生らが組織する団体の企画に参加するのも方法だろう。

 可能性にあふれた学生震災ボランティアによる共助の実践は、被災地を励まし、被災者を支え、
復興を超えたよりよい社会への確かな礎になるに違いない。若者よ、さあ一歩前へ。

河北新報社 社説より転載
by tabi-syashin | 2011-07-11 09:10 | a la carte | Trackback | Comments(0)