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心象の山「海谷」 山と死者たち

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お駒のヒシは海谷の雄 「駒ヶ岳」の西、
根知川に面している。

高距四百メートル、ほぼ垂直の岩塔である。
ヒシというのは
この地方にふるくからある方言で、
きりたった岩壁の謂。
そいつはまさに巨人(ガルガンチュワ)。

獅子のような頭をもたげ、
両肩をいからせ、聳然と周囲を睥睨していた。
カタストロフィに飾られて、
巨人はますます尊大に、陰険に、
私の心もしめつけてゆく。

あのきみのわるいフェース。
夢にまで追いかけてきて おびやかし、
恐怖と戦慄のつめあとを ふかくうがった岩壁。



遠藤甲太著 「山と死者たち」 白山書房より抜粋








人は人とのかかわり合いで生きており、いろんな影響を受けながら生きている。山も同じで強く影響を受けながら50年近くかかわってきた。その山への誘いは山岳書物が多いのだが、なかでも登攀モノが中心になり、そのストイック性もあってか 山への理解に一般ハイカーとは歴然の違いがでているように思う。

昔と今の指向性の違い・・・、現在はマテリアルも交通手段も、何といってもパソコンのスイッチを入れれば山岳情報が即座に手に入る、何でも手に入るが、、、その代償として山への深い憧憬や情念、里人との温かな交流など明らかに大切なものを喪った。「軽薄短小」「安近短」の現在に山に目覚めた人と 一方、かつてデジタル情報のない時代、現場に立たなければ知りえなかった山岳情報や交通の未発達の時代に生き、計画からリザルトまで緻密さを求め、食糧から酒に至るまですべてを共同装備と捉え、それこそ生甲斐!と「重厚長大」に山に取り組まざるを得なかった我ら世代との違いは とりもなおさず行動形態に現れる。

つまり、それは「ソロ」という行動形態に代表される。ソロで山に入れる気安さは、反面、奥山に入らぬ、歩かぬことを意味する。それとは逆に 集団で切磋琢磨するということは、やがて、ソロでも奥山に入る実力を養うことに通ずる。 気安く浅く山を歩き続けるか?、苦労してのちに享楽を生むか?の違いでもある。

かつて何度もいってきたが 個人ではできないことをやり遂げる能力を新たに持ち 個人以上の実行力を持つのが山岳会という「組織」。だから、世情を断つ冬山でも 未開のワンダーフォーゲルでも 幽玄な谷でも亘れてしまう。そして これこそが「組織」の存在意義でもある。 



今日紹介する「私の書棚」。この遠藤甲太のおどろおどろした内面世界は私自身の内面に深く影響したものであり、一方 難所を淡々、飄々とこなす大内尚樹教授にも惹かれるものがあり、どちらも同様に大切にしてきた「彼ら」であり「書物」である。

彼らの接点こそこの「海谷」であるが その道にはその道に適うものだけが集まるという難局の道理が在る。この道理を理解するには 山に向かおうとする側の根底的な「内面の差」「積み上げ」が必要であることを先ずは知っておかねばならない。

いずれストイックな「内面の差」は深山幽谷に入り込んできた年月の差に歴然と現れ出るもの。それこそが各自なりの山との関わりであり、「積み上げ」という系譜でもある。さらにまた それこそが沢ヤと岩ヤとハイカーとの「ものの見方の色違い」にもなっている。

冒険の密度、山、岩への理解度、経歴の差、難局体験の違いなどとなって現れ出たとしても いささかも驚くものではない。面白そうな山に飛びつく一般ハイカーと地味ながら流域踏査を執拗につめる地域山岳会々員との差は 時々の局面で 既にも常にも現れ出ているのだから。



ここ海谷は いまでこそ「雨飾山」とロマンチシズム溢れる名称で多くの人を集めるが、、、じつはその隣り、海川に面する凝灰岩の岩壁で人知れず散った男たちの物語があることを それが最近まで続けられていたことを 忘れないでいてほしい。




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by tabi-syashin | 2015-10-19 17:20 | 書棚紹介 | Trackback | Comments(0)