私の書棚・「いろりばた」59号

かつて南会津山の会が発行した、会報「いろりばた」の紀行文を 「デジタル化して遺そう」という私的な試み。この冬できるだけタイピングしたいと思う。だが、作者独特のおくり仮名遣いや旧漢字遣いが意外に伏兵だったりして とことん自分の常識が覆され 失笑してばかりでなかなか進まず(笑)

いよいよ今号は、今を遡ること35年も昔、昭和54年の「いろりばた」第59号となる。当時、南会津山の会も発足以来20年が経過し、ガリ版刷りの会報がオフセット印刷になって十数年、よき記念号が出版された。

この号は会員に二部ずつ配布され、他に茗渓堂にても販売され お手元に置かれる皆さんは多いと推察する。記念号らしく普段は寄稿されない名文もありそれらも留めようかと迷った。しかし、「夏の丸山岳」に荘年をとうに越えた二氏が登られ、その紀行文こそ今回のdigital紀行集の趣旨に適うものと思い選ばせて戴いた。

川崎さんは望月さんの7歳年上だから、寄稿時点で川崎さんが71歳 望月さんが64歳ということになる。「夏の登りは一段とつらくなる・・・」とこぼされるように川崎さんを思ってのこの言葉が地味に心に響き何とも言えぬ情感を漂わせる。「老童」と言ってみせる望月さんの度量感もすごい。 
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編者も拾数年ほど以前、黒谷川から火奴山(ほどやま)経由で丸山を目指したが雪解けとなった午後の黒谷川の烈しい濁流に恐れをなし、途中から手前の大幽山に変更した時があった。そこは会津朝日と大幽朝日と丸山とがぐるっと囲むような位置で、凄い谷の切れ込みに凄むところではあった・・・のだがw一面の霧で助かったという想い出がある。

版権や著作権などの権益問題がからむようなので「抜粋」の形をとった。後に目次と表題だけのインデックスを加えた。では何分宜しく。

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表紙 版画 二岐山 田村豊幸 作
南会津山の会「いろりばた」第59号(20周年記念号) 昭和54年5月発行

目次
表紙の写真 版画・・・田村豊幸
写真「南会津山の会第一回総会」・・・小滝清次郎・・・1
写真「二十年代のの南会津の案内人」・・・佐藤 光・・・1,2
写真「銀山平の想い出・銀山平の地図」・・・古市義孝・・・3,4
奥只見銀山平のの想い出・・・古市義孝・・・5

昭和二十年代の山村と人・・・佐藤 光・・・12
職人の道 銀山峠・・・藤間道徳・・・17
写真「会津朝日」江花俊和  「博士山」望月達夫・・・22
写真「只見川のカゴ渡し」古市義孝  「那須赤崩山」川崎精雄・・・23
写真「荒海山」江花俊和  「三倉大倉山塊」中西 章・・・24

写真「吉尾の廃屋」望月達夫  「細窪の出作り小屋」江花俊和・・・25
鎌房山・・・鶴田 進・・・26
猫魔岳の印象・・・小林 力・・・28
会津五桜・・・祖父川精治・・・29
夏の丸山岳・・・望月達夫・・・32
洗戸沢遡行・・・佐竹成夫・・・35

田子倉「横山」・・・油谷次康・・・38
土倉山・・・山田哲郎・・・41
観音山・・・中西 章・・・43
登れなかった博士山・・・林 忠雄・・・46
室谷川から駒形山を登る・・・佐藤 勉・・・48

博士山と明神ヶ岳・・・笠原藤七・・・51
山の会の思い出・・・永峰芳美・・・55
二岐山(表紙の山)・・・田村豊幸・・・57
東吾妻と那須赤崩山・・・川崎精雄・・・58
山岳書評「静かなる山」を読んで・・・貝森健治・・・61

写真「菊花紋の墓」小滝清次郎  「大嵐山」上野興世・・・62
写真「温泉二題」早戸温泉 二岐温泉・・・野口冬人・・・63
写真「川桁山」中西 章  「夏の会津朝日」江花俊和・・・64
写真「木地小屋」小滝清次郎  「横山と博士山近くの水芭蕉」林 忠雄・・・65
大嵐山と山椒魚採り・・・貝森健治・・・66

早戸温泉・・・野口冬人・・・63
奥会津山中にある菊花紋の墓・・・小滝清次郎・・・70
会津の国宝・重要文化財・・・渡辺正雄・・・74
わがふるさと大内・・・田沼文衛・・・76
会津のまつり・・・目黒 実・・・83

二十周年記念総会会計報告・昭和五十三年会計報告・・・貝森健治・・・89
旧羽鳥村・・・高橋行雄・・・90
写真「枯木山」上野興世  「観音山より流れ石」中西 章・・・91
写真「丸山岳山頂」望月達夫  「銀山平」古市義孝・・・92
写真「舟ヶ鼻山」中西 章  「赤土部落」中西 章・・・93

写真「各地の蓑」・・・森沢堅次・・・95
会津蓑覚え・・・森沢堅次・・・95
会津寺院覚書帖・・・目黒 実・・・98
新入会員紹介・二十周年記念総会参加者・・・115
事務局を引き継ぐにあたり・・・貝森健治・・・116

会員だより・・・116
編集後記・・・117






・朝日から二時間弱で、この悪場もほぼ終り、西側がゆるやかになると、ブナ、ナナカマド、シャクナゲ、カンバの樹林帯となりウグイスの声も聞こえてくる。大幽朝日岳(△一五一二米)(俗称三角山)が間近くなり、夕立が来そうな空あいになった。まだ時刻は午後二時だが、降られないうちにと、ここに三張りのテントをはった。三時頃、予想通り少し夕立があり、また陽光が射したが、四時半ごろから四十分ぐらいかなり強い夕立が降って、フライにたまった天水を、天の恵みとポリタンにかなり入れることができた。

夕立のあがった、さわやかな大気のなかで、六時過ぎから赤飯、ミソ汁、コーンビーフ・キャベツ、果物入りサラダの夕食。日が落ちると満天の星。明日も早いので七時半には寝袋に入って 間もなく熟睡した。

七月三十一日、午前一時半、隣のテントの物音で目ざめ、一時五十分起床、満天の星と弦月が美しい。ラーメンを食べおわり、一同灯をつけて三時十分に出発した。急登数分で大幽朝日岳の三等三角点にたつ。尾根は幅広く路もよいので、灯をつけて歩いても心配はない。ホトトギスが時々鳴いている。一時間ぐらいで夜が白んでくると、丸山岳のおおらかな姿が眼前に合った。ウグイスの声をききながら、最低鞍部まで緩降をつづける。やがて幅広い尾根のゆるい登りが始まる。すっかり明るくなり、棚引いた雲間から朝陽が射し始めると、丸山岳の山肌に陽があたって、素晴らしい眺めだ。大幽西沢の源流をなす支沢には、まだかなり雪渓が認められた。地勢はぐっとゆるやかになり、所々芝草が現われ、小さな池塘がでてきた。シャクナゲの白花がまだ咲きのこっている。いよいよ山頂の西に顕著に聳立する突起の登りがはじまる。その頂にたつと展望もひろがり、それに目を奪われながら左方へ山頂部の稜線を進む。と前面にまさに期待した通りの草原が展開し、南へゆるく傾斜したはずれには、オオシラビソの疎林が、この聖域をあたかも護るかのように立ちならび、草原にはニッコウキスゲの花がいまを盛りと咲き乱れていた。二、三の池塘の傍らを過ぎて東へ行くと、二等三角点の標石のおかれた、清らかな山頂に辿り着いた。時刻は五時三十五分、われわれ七名は、ほかに誰も人のいない、この早朝の山頂に心から満足した。

中西君らは大幽西沢のツメの大残雪のほとりまで行って、早速雪をとかしてコーヒーをいれるという。私は川崎さんと三角点の付近に暫したたずんで、見える限りの山々を指呼した。「こうやって見ると、随分沢山の山に登ったもんだね」という言葉が川崎さんの口からこぼれたが、七十一歳にしてまだ登り続けている川崎さんにとっては、まさに実感であったろう。

真南に燧ケ岳の双峰、その右へ至仏、平ヶ岳、荒沢岳、中ノ岳、魚沼駒。燧の左には会津駒から三ッ岩、窓明山。坪入山は窓明と重なり高幽山付近はぐっと落込んでいる。北には朝日岳がすでに低くなり、遥かに飯豊や御神楽が淡く見える。私にはいつまで見ていても飽きない山岳展望であった。(夏の丸山岳・・・望月達夫 より抜粋)

編者注
黒谷川 (くろだにがわ)
火奴山 (ほどさん)
叶の高手 (かのうのたかて)
三吉ミチギ (さんきちみちぎのさわ)
鋸歯 (鋸場・刃 のこぎりば)
高幽山 (たかゆうやま)
大幽朝日岳 (おおゆうあさひだけ)
小幽沢 (こゆうさわ)
城郭朝日山 (じょうかごあさひやま)
大博多山 (だいばだやま)
未丈が岳 (みじょうがたけ)
毛猛山 (けもうざん)

小幽沢のカッチ
カッチというのは会津の人たちは皆、一番上の頂上をカッチというのです。どこの山も皆カッチという言葉があるのです。山頂近くという意味です。 喜多方エーデルワイス山岳会 小荒井さんの話。
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by tabi-syashin | 2015-01-09 14:31 | iroribata | Trackback | Comments(0)