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そろそろ朝日にでかけるか⑥ 水線(すいせん)を入れる

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市販の1/25000図  これをもって48歳になるあたりまで 未踏の谷に、山に分け入った。 
地図はもちろん平面だが  えんぴつで 水線(すいせん)を入れると・・・
山並みが浮き出て 尾根筋、谷筋が明瞭になる、、、「夢を手に入れる」ことを意味した。


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白滝登山口への林道入口には大きな伐り出し材が山積みされていた・・・ じつに圧倒された。

はじめて 朝日連峰に登ったのは大学1年次。 今から45年も昔w まだ18歳のガキタレだ。 小牛田町の学友タケシと吾妻連峰を縦走し 帰りの奥羽本線鈍行列車に揺られながら その夏の山行計画を打ち明けあった。 どうでもよい学生語りで 「朝日に行きたい」と自信ありげにタケシが言っていたのを真に受け いい加減な承諾で彼の構想実現が決まった。 

普通なら 吾妻の2泊山行直後だから ハイハイと聞き流すのだろうけれど それに自分の知識不足で朝日連峰が一体どこにあって どのような行程で 何が心をとらえるほど特徴的なのか まるで知らなかったので どうでもいい感じのOKOKの二つ返事だったと思う・・・? 板谷峠のスイッチバックあたりで睡魔が来てうつらうつら、福島駅で肩を叩かれ慌ててキスリングを担いで乗り換えるほど、いい加減な受け答えをしていたに違いなかった。 

吾妻連峰の次に朝日連峰そして安達太良と タケシの構想はどんどん広がっていくが 肝心の僕はといえばチンプンカンプンだったw まず 登山のガイドブックを読んでびっくりした。 山形の左沢線(あてらざわせん)で終点左沢までディーゼル機関車で行き そこから宮宿経由で朝日鉱泉まで小型のバスに乗るのだという。 が 夏季期間はほとんど毎週、登山バスは満員とかで乗れるかどうかが博打みたいなものだ とか。 とはいえ白滝まで臨時増発が出るというのでお盆の期間中なら行けそうだという知らせをタケシから受け 長井経由で左沢までとりあえず出てみることになる。もしも運よくバスに乗れたら、夏休み後半の日記は描かれるようになる らしいw (登山バス予約申込の往復はがきを出し返信が届いた、と連絡があった)

まあそんなわけで 初めての朝日なのだが相方タケシの思い入れにより実現したようなものだった。 入山は朝日鉱泉から、鳥原小屋で1泊目。翌日は以東小屋まで 最後の日は大鳥池から朝日屋経由で酒田まで。帰りは陸羽東線で帰仙 タケシとは小牛田で別れた記憶がある。 夜は飯盒炊き、朝ごはんも握った。 この山行で大朝日に初めて登ったがたいして感動はなかった。唯一の感動といえば、以東から見下ろした大鳥池かな。 ここで覚えた花がある マツムシソウだ。大群落が狐穴から以東までの間ずうっと一面紫に思えるほどワンサと咲いていた。きれいだったなぁ・・・。 

あの時代、山の価値観がレジャーとか趣味とかに明確に区別されていた時代だったと思う。ジャンルは 登山とハイキングぐらいだったと思う。あいまいなジャンル・カテゴリーはなく、単なるスポーツという評価ではけしてなく、思い入れや憧れやその人なりの背景などを背負って山に入ることが多かったように思う。「山と文学」という括り方も確立されていた時代だったと思う。 ましてや トレラン? 山小屋で宴会? ないないwそんなのあるわけない(笑)三人寄れば山岳会などと言われた時代、ほとんどが登攀ルートの開拓に関心が向いていた時代、、、こだわりといえば「山行は山小屋泊まり」それと「小説文庫本携行」だったということぐらいかな。昔はストイックな青年が山や谷に入っていたんだ。

酒もタバコもやらぬタケシ。毎日学ラン着て黒い革靴で一見右翼のようにみえたが 実に真面目で嘘をつかない男だった。上記の吾妻連峰縦走の前夜、我家に前泊したがうちの親も驚くほど律儀だった。そんなタケシも 5年前、山の彼方に旅立ってしまった。

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by tabi-syashin | 2013-06-23 16:07 | Mount Asahi | Trackback | Comments(0)