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飯豊の「おとぎ雪」のこと

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御西の「御鏡雪ミカガミユキ」に 草履塚、御秘所、御前坂の影。。。




飯豊の登山口を控えている西会津では 秋まで残る雪を・・・「おとぎ雪」とよんでいた。

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喜多方エーデルワイス山岳会 小荒井さん(飯豊連峰保全連絡会議事録より)

今日車に乗せてもらった時に会長さんから、「こんなに雪降ったのだから、今年は夏、飯豊山に雪たくさんあるよ」「そうだよ、秋まで残るよ」というような話をしたら、そのような雪を「おとぎ雪」とおっしゃいましたので、よかったと思っております。

私20年くらい前に「おとぎ雪」という文章を書いたのですが、飯豊山の頂上付近「御西に残る鏡雪」なんというのは、弟がやってくるまで残っているというのは、会津の人たちはあのような雪を「おとぎ雪」と呼んだのですね。このような文化を残していきたいと思うのです。

今日のニュースレターの最初に書いてあった、梶川尾根上部のトットバノカッチの話がでましたが、こういうのも大事だなと思うのです。「カッチというのは会津の人たちは皆、一番上の頂上をカッチという」のです。どこの山も皆 カッチという言葉があるのです。

山頂近くという意味ですが、このような文化をいつまでも残していく、そしてそれを好きになると飯豊山をもっと好きになると思っていますので、このような活動を一生懸命やっていけたらと思っています。以上です。

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むかし会津では 滝が少なくて、なだらかな勾配の沢を「峠道」のように使っていた。もっとも山菜取りや、隣村との行き来、嫁とり(近親交配を避けるため)などに使うわけだけれど、、、人が行き交う沢を「みちぎ(道行)の沢」と呼んで 山道でいう「峠」と同じ意味を与えていた。

今回の「おとぎ雪」だが、、、その読み方を考えれば「みちぎ」「おとぎ」という読み方は会津独特の読み方で 福島ではこの言葉は無く、気になってはいた。。。「ギ」を行き来することと解けば「おとぎは弟が行き来する」となって 弟が帰ってきたり行ったりするという意味になるのだが・・・その深い意味を、自分なりに耽って 考えたりもした。



「弟がやってくるまで残ってる」・・・この「弟が来る」=「おとぎ」という言葉にどんな状況と意味があるのか???

昔は長男が家の跡継ぎだった。次男、三男、娘たちは十五歳にもなると家を出て町場に雇われていった。 女は給仕、女中、製糸工場の職工として町場に働き、男は 丁稚(デッチ)として旦那に仕え、小作制度の作男(さくおとこ)として、本家の一隅をあてがわれ暮らしたりしていた。寒い冬でもワラ布団に綿入れ丹前一枚、炭火鉢を当てがわれての下宿住まい。

家内制手工業の盛んな街では、男は酒造り、味噌造りや田畑、林業などの原業へ勤め、旦那様が商いをしていれば薬屋 油屋 呉服屋 金貸しの商家の丁稚どんに、生糸などの製糸工場が盛んであれば年季奉公に女ゴは出ていたと思われる。すべての利益は「旦那様」に集約される近代資本主義なる時代背景があった。春ともなると、斡旋業者が村々にやって来て 父親に支度金を渡し、尋常高等小学校を出たての子供たちを買い取るようにしてトラックに載せ町場の労働力として集めたといわれている。「女工哀史」などでも書かれたりしてた。

その弟や妹が「盆暮の繁忙期」を終え、旦那様からヒマをもらって「藪入り」で帰省することが… ここでいう「秋に弟が来る」という一種の”季語”に変化していったのではないか と推測した。「おとぎ雪」という言葉は「切なさ」の意味合いで使われていたんじゃないだろうか。その言葉の裏には 家計のために幼くして家を出て「丁稚奉公」「年季奉公」に出ていった年端もゆかない子供たちへの想いが秘められていたのではなかったか? と思うに至った。 

一つの単語から 世の中の仕組みやら 資本と労働の成り立ちやら 時代背景やら もろもろを考えるということは 近代登山史研究として洋の東西を問わず為されてきたわけだから「登山」って奥が深いなあと この時に思った。けっして 経済効率的な スポーツ的な 一面的「享楽」な捉え方では済まないわけだ。


藤島玄 説によれば・・・晩秋まで残る雪を「オトミ雪」と新潟では呼ぶ。オトミは「弟見」の意味。乳飲み児のいるうちに次の子を妊娠する、飯豊の残雪が消え失せないうちに新雪が降ることを乳離れしない子を持つ母親の懐妊とを喩えたもの・・・藤島玄によれば冬の長い新潟ではそう解されている。会津と新潟、同じ雪国でも・・・ 風土も 言葉も 謂れも 解釈も違うということか。

しかし ここからは邪推だがw・・・ 冷静に考えれば、御西岳の南斜面にある鏡雪を望めるのは 地理的に三国岳から登拝に登った喜多方地方だけが残せる物語だろうということ。 喜多方、会津といった大きな町が登山口に控えているので、おのずと登拝口は弥平四郎か一ノ木になる。 「オトミ雪」というのは「おとぎ雪の内容」を知ったうえでの伝播だろうと推測する。たまたま「越後の山旅」が藤島玄によって先に上梓されたがゆえに 会津の「おとぎ雪」は本筋であっても次席に控えざるを得なかったのではなかろうか。こう思う次第。。。(笑)

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草履塚からの飯豊本山

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切合小屋 裸地からの大日岳

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切合小屋からの草履塚


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御沢の源頭部に朝陽があたる
黄金色にもえさかる 錦秋の草紅葉
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戦前の日本の近代資本主義について、、、 母方の実家を例になぞらえて少し補足しておきたいとおもう。 実際に私が小学校に上がるころまで GHQから「農地解放令」が出てからも 旦那制度は続いていたという事実を 母方の実家の話で実証してみようと思う。

戦前、福島あたりでは、、、旦那様は「だんぽ」と呼ばれ、若旦那様もまた「若だんぽ」と呼ばれていた。話はそれるが ちょっと呆け気味で、のほほんとした人を、小バカにした呼び方で「この だんぽやろー」と云うのがある。旦那様というのは自分が何にもしなくともお金がどんどん集まる経済的な仕組みであり、金持ちの息子にはアホなヤローが多かった、「ボンボン」という意味合いで「ダンポヤロー」だったんじゃないかな? ま、俺もか(笑)

大農家との違いは、旦那様は手工業も含めた経営者であり、地元の政治家でもあるという点。農業や家業、生業は全て使用人が働き稼ぎだす仕組み、その稼ぎが旦那様の懐に集まってくる旧家のシステムだ。

また戦前の名残で母方の実家では 小作人も働いていたし女中もいた。孫や子らは 「サクー、サクー」と小作人を呼びつけていた。線路の向こう山の杣、鳥夜野(とやの)という所に女中の実家があると密かに聞いていた。何故かそれだけ今でも覚えている。屋敷のまわりは松や樫の屋敷林(イグネ)が囲ってある。家畜は牛・ヤギ・ウサギ・鶏・チャボなどが飼われていた。田畑同様、家畜の世話は小作人の仕事だった。

庭には井戸があり「手こぎ」ポンプ、家の飲み水は別井戸で「電気」ポンプで汲み上げていた。大きな池もあった。使用人の洗濯は池の傍の小川でなされていた。味噌蔵、米蔵などの他に養蚕業が盛んなころで記憶の片隅に糸紡ぎ機の跡もあったような。さらに隣の縁戚の家は造り酒屋もやっており煉瓦造りの大きな煙突があった。当時の電気製品では無いものがなかった。

夏の午後、暗い屋敷に入ると目の前が真っ暗になり目が慣れるほどに薄暗い中に土間囲炉裏が見えてくる。小作人や仲居女中たちが食事をする場である。隣に土釜や蒸籠があって裏木戸に近い所に農耕具が備えられいた。

座敷に上がると座敷囲炉裏があり見事な自在鉤が下がっており、伯父たち家族が座る板間の下座、冬になると囲炉裏に鉄格子がされ綿布団がかけられ練炭が入った。ぬくぬくとくるまると時おり猫が顔を出した。

祖父が身構える上座は畳敷で一段高かった。祖父は行くたびに赤札か黒札かをくれた。今でいうと、正月は安くて1000円か高くて10000円、夏休みなど500円か1000円程度の感覚かな。懐から財布を出してペロっとくれたもんだ。

食事は女中たちによる配膳だった。台所は板間で大きな食器棚と戸袋があって、普段の食膳も地域の宴会の配膳なども全て台所で準備する。膳を用意して居間まで運んでくるのも女中方だ。

昔は国会議員や県会議員などは当たり前に旦那様宅か、その縁者から輩出された。母方実家もその流れで政治的宴会も多かった。当時、日本酒(清酒)は高級だった。普段は濁酒か三増酒か焼酎をかっくらってる男たちがこの日ばかりはこぞってやってきた。宴席では必ず清酒が振る舞われるとなれば、ここぞとばかり飲んでへべれけになって男どもは帰宅する、途中道路で寝込んでしまう向きも多かった。

とまあ 旦那様といわれた戦前の「近代資本主義」「本家・小作」の名残があった時代、戦後10年ほどはあったという話です。おそまつさま。








# by tabi-syashin | 2015-10-09 07:20 | Mount Iide | Comments(4)

余計なお世話ですが・・・_d0237340_1627128.gif

「岳」
岳というくらいだから嶽々しいイメージなんでしょうか? 里山・藪山がその対象になるのか?という問題はさておき以下は 自分の考えです。気楽に考えてみてください。


「能ある鷹は爪を隠す」
謙譲な心を美徳とする日本人であれば 自己紹介のときに「宮城の岳人 ◎×です」 とは言わない。「宮城の山好きっす」 とか 「藪専です」 とかでしょ? ましてや「岳人やってます」と職業紹介のような名乗り方もしない。「岳人」という言葉には「敬意」が込められて使われているからだよね。

「私は宮城の天才 ◎×です」 
って・・・自ら名乗る人って見たことも聞いたこともない。「宮城のヒマ人やってます」って 冗談や謙遜ならありだと思うけど、ノリ なのかな?それにしたって 「皆さん 私は宮城の人格者です」と名乗る方がいる? 第三者から 「あの人は立派な人だ」と言われたり、「名誉」や「褒め言葉」風に 使うんじゃないのかな?

「謙譲」
自分の能力や功績を人前に自慢したりしない表現を古来、謙譲という。だから「私は自他共に認める人格者だ」とは言わない。けれども「自他ともに認める山好き」とか「自他共に認める趣味人」、「娘からアホと呼ばれるほど山好き」とか 自分がへりくだるなら 日本語として成立する。

「威厳」
謙遜、謙譲、敬意、、、一人称ではなく三人称で使われる言葉なんじゃないかな。「岳人という言葉に尊敬や威厳を持たせた使い方」が一般的だし 使い方としては そっちが宜しいんじゃないかな?
一人称で使わず むしろ謙譲語として遣ったほうがいいんじゃないか!

「岳人」
還暦ほどの者が自らを「岳人」と称しプロフに載せている方がいるけど、「岳人を自称する」つかい方はヘンでないの? 経験の長い山岳会の方々でも 自ら岳人と称することなどしません。皆無。「衒い」を排するというか むしろ己を諫め慎んでいる。それが普通です 










# by tabi-syashin | 2016-12-31 22:39 | colum | Comments(5)