<   2015年 10月 ( 30 )   > この月の画像一覧

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1988年 30周年記念誌



●地方山岳会の氏素性とは

地域山岳会と名がつくからには 地元に根付いていなければその名は使えない とか 東京に籍を置く山岳会だから全国に行くしかない とか。 仙台という地域山岳会だから 栗駒 蔵王 二口が中心になるだろう・・・とか そういうわけではないのだが 

地域に根差すということは、根本的な「地域」という拠りどころがあるという前提だ。つまり過去においては「氏素性」が明確であるということだった。 これがネット社会となり コピー文化・トレース文化の横行となれば 東京でも大阪でも仙台でも皆一様に 同じ有名どころの谷や山を登って 皆一様に同じコースを記録に落とし込む 
、、、だとして、そこには 「らしさ」がなく、ローカルだからこその「面白味」がない ということになる。

それこそ ネット社会での「知り合い」がまさに元来の「友人」であるかのように、知り合いと友人とでは大きな違いがあるのに・・・画一的にイコールに近い。その意味で山岳会も昨今は「氏素性」「所番地」「根っこ」が分からなくなってきている。


●金太郎飴ならブロガーには敵わない

どれを観ても 同じ山で 同じコースで・・・まさに記録は個性喪失、金太郎飴だ。まして地方の小さな山岳会の記録は文章巧みなブロガーにも追われ、消えゆくのみになってしまう。ここで、「一考」が必要となる。 

つまり、、、逆をいく。 今このような時代だからこそ「おらが山 おらが谷」を強烈に愛し、通いに通って愉しみつくす、そのような活動をすれば 地方山岳会の生き残る道は前途洋々な(?)わくわく感が出てくるのではないか と。

個性を大事にしなければいけない という「呪文」を云っているのではなく、日常の活動が「地域 地方」に大きく偏ってる、意識的にどっぷり地域・地方に大ブレな活動をする、そんなローカル性を前面に押し立てた山岳会じゃないと今後は生きる道を失う ということだろうか。 

もしくは、会活動から解放され「同人」となって難易度も興味度も高い沢、岩を追うだけになるか・・・。ゴルジュ記号の毛虫マークを追い求め、難易度をしめす5+などと記号を愛してばかりいたのでは(個人の興味は尽きないとしても)山岳会として、組織としての面白味は消失するのではないか?、グレード記号の世界に「人間集団の雑味、面白味」が滲み出る、味わう余地はあるのだろうか という問題が残る。すでに「同人」の域に存在する会は論外ではあるが。。。


●山岳会の進むべき方向とは

これら地域山岳会の発行する会報誌を読んでいると、40年、50年の「重みと危機感」がおしなべく巻頭言に記されている。併せて 今後の方向性も各会みな同じように示されている。共通することは、何故に半世紀以上に亘って会活動をすることができたのか?という「総括」だろう。

そこに今後の生き残りの答えが示されている。地域性を尊重し、それを会の個性だと言い切れること。それと現代にマッチする組織の軽さ、軽快感を持つような組織にするのが一番ということ。北ア 南ア 谷川 上越が気になるのではなく それを越えうるインタレストな活動が地方山岳会活動に見いだせればよいこと・・・だろう。

登山活動の活性・活発化のほかに 人間関係、会運営に関してもどんどん若い人に任務を振り分け、組織に軽快感をもたせることも重要になってくる。「自分のため」と思える質の高揚が期待できれば すでに御の字なのだ・・・である。


●雑感だが

今の世、若者・女子が普通に山岳会の扉を叩いているんじゃないのか? 僕らの頃にはなかった現象が いま興っているということだろう。入会者の増減は会活動の活発化に比例すると以前にも書いてきた。ブログを逆手にとって利用する、どんどんブロガーに変身する若手会員の身軽さも 今後は重要になるんじゃないかな(笑)



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1991年 創立20周年記念号
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by tabi-syashin | 2015-10-31 23:22 | colum | Trackback | Comments(2)

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昨夜、面白い資料が見つかったので・・・付記しておこう。(2015.10.29)

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私の書棚・・・

新潟・峡彩山岳会「岳神 14号」創立40周年記念誌(1993年)の187ページに
会員の本望英紀氏が 大正時代の飯豊山の登拝「十三参り」の様子を現地古老宅にて
聞き取り調査をし書き留めている。

それによると・・・

「十三参りといって 津川から石川ひとし、薄八一郎の二人が参加した。
年齢は二人とも13歳というから大正2年、1913年ごろと思われる。
時期は8月で山都町に集合して参加人数は10人くらいだった。
二日間は祝詞(のりと)の練習や川で水垢離などをとり、
飯豊山に登る前日はとても厳しく 梅干しだけだった。

先達は山都町の人で、服装は頭に白い布を巻き白装束に着替えて
飯豊山中では各所の神社で飯豊山と会津の柳津虚空蔵菩薩様、
この二つの神仏の名称をお祈りして登った。

下山後は「はんばぎぬぎ」で凄いご馳走が出たが、先達は酒を飲んでいた。
以上が薄八一郎氏からの聞き書きである」

・・・とある。

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私からも付記してもおくが、、、「白装束」は 死装束を意味していた。
「はんばぎぬぎ」は 「はんばぎの儀」という式目(修練明けの祝席)があったのだろうと思われる。

なお、藤島玄さんを囲む「玄山会」が会津の闇川で第10回(1983年)が催されたとも記されている。
この会津、闇川の地こそが「本元飯豊山」であり飯豊山詣りの講中で賑わいのあったところでもある。

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喜多方市の観光案内によると・・・ 

福島・山形・新潟三県にまたがる飯豊山は、古くから五穀豊穣や成人儀礼の山として、多くの人々が登拝する信仰の山である。飯豊山登拝は、十五才の少年たちが白装束に身を包み、水垢離をとるなど身を清めて臨む。先達と呼ばれる案内がつく。こうして無事、登拝すると一人前の大人として村から証認される習俗が昭和20年代までみられた。山都町一ノ木は、飯豊山登拝の表山道にあたり、登拝者の宿が多く連なっていた。一ノ木にも里宮としての飯豊山神社がある。飯豊山には一王子社を本社とし、五王子社まで五社があり、これを合わせて五社権現という。一ノ木の飯豊山神社には、五社権現の本地仏である五大虚空蔵菩薩像が保管されており、夏の登拝時期にはこれらを山頂の飯豊山神社に移しまつる・・・とある。

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まるで 同じことが大正時代に遡って実証できている。 素晴らしい検証だ。
やはり その地方に在るべき地方山岳会の姿というのは 「山は登ってなんぼ」だけでは済まないんだな。
歴史や知的探求があってこそ「味のある」山岳会と言えるのだろう。耳が痛い向きもあるか・・・?(笑)

山を信仰の対象として捉えなおし、山に遊ばせて戴く・・・こんな謙虚な姿勢。昔語りの由縁もそこにある。
人間が冒険心などと言えるのも釈尊の掌の上にてこそ 御加護もあるということか、
「実力」だ!などと思いあがらぬ方がいい。



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by tabi-syashin | 2015-10-31 09:16 | 書棚紹介 | Trackback | Comments(2)


当ブログの訪問者数が「異常な数値」を示している・・・3度目かな? 特においしそうな記事はないのに?
観光案内ついでに仙台市の秋保♨、「二口(ふたくち)渓谷」のあまり知られていない「沢と滝」を紹介する。

二口渓谷といえば 全国的に有名になった「天国のナメ」で知られる大行沢(おおなめさわ)がある。
じつは 二口渓谷には明暗両極があって、明るい大行沢に対峙するのが ここで紹介する磐司沢である。
表磐司岩(ばんじいわ)の東磐司と西磐司とが交差する奥にそれは流れ、岩が削られ自然の造形美を成している。

二口随一と言えるほど「暗い」「地の底から天空を見上げる」溝を掘ったような垂直壁が3kmも聳え立つ。
磐司岩の奥深くにある滝群こそ この渓谷の一方の主役でもある。暗いゆえ 脚光は浴びにくいのだが・・・w

所属していた山岳会は仙台YMCA山岳会。会員はこの二口渓谷の何れかの沢を歩き、毎年登っているが、奥が深い。
二口渓谷あってこその山岳集団だった我々は この凝灰岩・集灰岩に揉まれ鍛えられて育ったようなもの。
ガバがなく、ホールド・スタンスとも細かさ、微妙さ。フリクションで岩に立ちこみ、バランスの技巧に興奮する。





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F3・・・ ホールドが細かく 指先&つま先で登っていくのだが 5mでさえも難渋したっ



昔撮ったフィルムを EPSONスキャナで読み取って再生作業をしている最中で 今は眠いぞw 過去のアルバムを整理していたら、見事な滝の写真があったので 急遽 紹介する。 撮影者は不明。コントラストの烈しいところで露出がついて行ってないが・・・。

当会では3パーティ10名程度が過去にこの沢の全滝をクリアしている。昔、日本独自のアルピニズムは岩壁と剣谷の初登記録が何にもまして優先された時代に発展した。日本独自の「ジャルパイン」は渓谷登攀により開拓され、記録は貴重で、谷川岳の岩壁や渓谷も未踏であればあるほど価値のあった初登競争時代にあった。

この写真は、初登攀の価値などカビが生えるようになったバブル崩壊期の写真。初登攀記録が「岳人」に載ったとか どうのこうのという論議など「無価値の時代」に好んで挑んだ記録である。たとえば 最後の滝はコンクリート釘の連打とアブミ登攀で切り抜けるらしい・・・と書けば、メラメラと闘志の湧く”古いタイプ”の会員も 井の中には存在するということである。

場所は二口渓谷の表磐司と西磐司が交差する磐司沢。姉滝の上あたりが入渓地点になる。凝灰岩でできた磐司岩を水勢が削りとった深い谷、南北石橋などよりも非常に異様な世界だ。印象的には・・・まるで我々が地底の住人になったかのようで、地の底から天上へと長くうねる様に昇り上がった巨大な溝の、その溝の底から遥か100m上の地上を仰ぐ異様さとでも言おうか。その溝が岩の間を幅平均5mほど 高さ100mほどでずうっとうねりながら最深部まで続いている。


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↑ 二口 磐司沢 F1


磐司沢 3度目の試登フィルムである。インスペクションも3回目となると 滝ごとに課題は決まってくる。このとりつきを繊細なフリクションと微妙なバランスとで4mほど上がれたら、クリアできたも同じ。果たして、地の底から溝を拝めるかどうか?、バランスが不全であると磨きこまれた岩に立ち込めない。 それどころか 磨きこまれた岩にいとも簡単に落とされてしまう。 F1こそが 今日の試登の可否を判ずる分かれ目となる。 雨合羽を着る前、念入りにF1のインスペクションをする。


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いよいよ、F1登攀 細かいホールドにスタンス。渓流足袋のフリクションを信用しないと落ちる。


登攀はF4までなら 写真の梅雨時以外に数回?試登している。山行ノートを読んでいると名前が数回出てくる、引き連れ役は決まって引地さん。滝はホールド、スタンス共に細かく バランスとフリクションで登ることを強要される。

時に一枚目の写真、F3の抜けはオットセイが這って歩くような格好で下半身を引揚げないとクリアできない。この時は残置が1本あったが 私をショルダーにて上がり リードの引地さんはだいぶ苦労して越えていったのを覚えている。落ちれば滝壺が待ち受ける。 F3は比較的に簡単にクリアできた。

ここで太陽が射込み 冷えた体を温めた憶えがある。F1からF4までは細かなホールドで、チョックストンに背中を充て足のツッパリと微妙な立ち込みとおまけにシャワーとで とても難しい印象しかない。

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さらにF3をインスペクションする。


F5の20m写真もあとで貼り付けようと思うが 樋状の滑滝で登れそうもないほど。F6の40mは記録によれば、コンクリート釘の連打でスリングをタイラップで掛け アブミ登攀で抜けるらしい。墜落という二文字と常に背中合わせだ。

この磐司岩の基部となるF1(15m)、F2(6m)、F3、F4(各5m)までなら何とか私でもいけたが その上 F5(20m)F6(40m磐司大滝)は あと数度も通いつめ試登を繰り返さないと この深い「地底沢」は完登できないと思う。当然ながら自分は ストイックになれないし・・・無理w

普段は磐司岩の表磐司・裏磐司とも大分離れた位置から撮影するものだけど・・・上手く撮ったとしても朝陽と夕陽という斜光線で岩肌を望遠で撮るだけ。実際にその西磐司と東磐司との出会う懐に入ってみると このように深く掘られた谷になっていて 一部はケービングのように暗くて 逆に明るい滝はほとんどチョックストンが落ち口に埋まっていたりする。


最初のF1(15m)が難しいと思っていたが 実際にはF2(6m)が難しいという感想を持った。というか F2は辛かったという方が正解かもしれない。

シャワーだし、ショルダーだし、頭から水の流れがバシャバシャかかりっぱなし。ナッツが決まるまで、首から侵入した冷水にブルブル震えだすほどだった。そこはまさに地の底にある滝で 地底から見上げる空がかなり眩しかったことを覚えている。

まあそれでも F3 (5m)を越えてF4(5m)、磐司大滝直下にでてF5(20m)となる。F6磐司大滝の最上段をこの目で見た時には とても興奮したことを覚えている。

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F2 をインスペ久ションする。この滝はショルダーであがる。


あらためて 記録の大事さに今更ながらに焦っている。この時は写真を撮って眺めただけで終わった。下部の3つの滝をフリクションだけで越えるのでさえ半日が過ぎてしまうのだ。とにかく磐司岩の溝の高さ(深さ)に圧倒されまくり。

それと 溝から見た葉っぱの緑が透過光で綺麗だったことを写真はことさらに思い出させてくれる。この時で3度目の盤司沢となるが、回を追うごとに滝登りもスムーズになっていくのが経過タイムでもわかるようになる。完登までには5、6回 時間をかけないとダメだろ。



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二口林道から表磐司を眺めた時に、 東磐司岩壁と西磐司岩壁の接合点が見えると思うのだけれども・・・逆に、接合点側から林道方面を眺めると、 細い隙間から見下ろす格好になる。

写真に向かって左岩壁が東磐司、同様に向かって右岩壁が西磐司となる。写真の下部に、雨が降ってるような何本もの筋が薄ぼんやりと見えるかもしれないが、これは滝の飛沫などではなく、硬い岩肌に伸ばした植物たちの根っこである。
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岩に登ってニヤリと笑っているのが赤ヘル幡野。赤の合羽が引地さん。隣が俺。

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当時の記録を読み返すと・・・、様々なことが思い出される。何度も通っているのに、二俣ポイントを間違えるという珍事があった。そんな引地さんとの何度目かの遡行ではあるがその中の一部。二口渓谷の磐司沢は引地さんが得意の沢だが それでも沢を間違えるらしい。手前の二俣を左に入ってしまうというミステイクをした(笑) 左俣は磐司岩基部まで ずうっと滑滝。ウォータースライダーのようだった。






↑ 当ブログ初公開 磐司沢F6 磐司大滝 40m


磐司大滝最上段の落口が見えた。F4から撮影した貴重な写真。この時、途中に茂みがあることを知った。ということは あそこまでは登れるという実感が湧いた。この数年後、脈略もなく突如?コンクリート釘の連打で登攀した同期もいたが何ら不思議なことでもなかった。これより大きな目標に向け、己が力を試したかったのだろう。この滝の上が 皆さんおなじみの冬季尾根、既知の磐司尾根だ。

F4、 無性に小さい斜瀑。
これをみて、F5の20m滝までなら行けると思うだろうが F1のクリアが厳然とあることをお忘れなく。












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by tabi-syashin | 2015-10-30 08:26 | Mount Futakuchi | Trackback | Comments(0)

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水晶尾根から見上げる「山伏ドーム」。上部40m? 下部50m?、ざっと100mほどの垂壁。栄太郎新道側から撮ったドームの写真はよく見かけるけど、水晶尾根側からの写真は滅多に拝めない。となると この画像(Fujifilm 写るんです)は貴重品だな。

この写真で ルートを読むとしたら・・・もっとも写真では解りかねるが。。。下部は左上クラックから取りついて1ピッチ、2ピッチ目はルンゼを直上、ブッシュの処理が問題そして中間台地に乗らずにそのまま上部カンテ取りつきまで進む。カンテは2ピッチほど?で山頂。約3時間かな? 新潟山岳会の古い記録によると・・・ドーム基部で野営した ともある。


昔から 一つのことに惚れっぽいというか 脇目も振らずに集中する癖がある。一旦、始めだしたら飯も食わずに 徹夜してでも成し遂げてしまう悪い癖。今夜は手を止めて、楽しみを明日にとって置く などと云うことはできない性分。

南会津に御神楽と云う雪崩に磨かれた岩だらけの山がある。あるとき そこに登れないだろうか? 難しいだろうか? できそうかな?という思いが生じたのが運のつき。自分の技量もそこそこに、登りたい、焦りにも似た「気」が先に立つ。痩せ馬の先走りだ。

会津側から三条という廃墟集落を通過し、八乙女滝からの細尾根を登るのだが・・・林で囲まれているので安心していられる。でもきつい登りだったことは覚えている。反対側の新潟側から登れば・・・その細尾根は樹木がなく左右スッカラカンだ。細い岩尾根だけがぐいぐいと山頂稜線に数本も突き上がる。

三条集落だが 浦和浪漫山岳会が霧来沢水系に通い始めた数年は人が住んでいたという。それは1981年ごろのこと と浦和浪漫の"鉄人"坂内氏が記していた。

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初めての湯沢岩壁。1993.10.3



稜線に連なる岩尾根は 新潟側から栄太郎新道 山伏 水晶 つばくろ尾根。初めてなので、勝手がわからず湯沢出合の野営地にテントを張って まずは下見した。湯沢の小さな流れのどん詰まりは 広くポカンと広場になっていた。広場の中央に大岩。20mほどの湯沢大滝が正面に構える。その奥は驚愕の奥壁群! 体が初めて凄んだ。

それは 秋だというのに雪渓の残骸が黒々としており 横の岩にはピンが4本ほど打たれ右のフェース状を登ってバンドを左に亘って大滝を乗っ越すらしい・・・とまでは分かった。

初めて心底ブルった。 明日は大丈夫だろうか? 不安だらけだった。 その夜は焚き火をたいて大酒を飲んで寝た。

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2回目は中央の水晶尾根。1995.9.24

水晶の細尾根は山伏尾根よりは簡単(らしい)、御神楽は岩質が脆くボロッといく。とだけ聞いていた。

まずは湯沢から先、水源まで広谷川左岸を進み、ラクダの窓沢を過ぎて本名穴沢との出合いに至る。本名穴沢沿いの途中、左から入るトマノ左俣に入って 水晶尾根末端の丘に登りついた。前回の敗退が頭にあるので何としてでもクリアしておかなくちゃ。呪文は「山伏よりは岩は立っていない」だ。

先行で枝尾根にとりつく、小松の枝が邪魔ながら20mも登れば 所々の岩穴に3cmほどの水晶が光る主尾根に出た。水晶尾根の名前の由縁だった。水晶尾根に上がった途端 素晴らしい景色が飛び込んできた。御神楽稜線からは何度も見下ろしたことがあったが 今は奥壁の上に広がる稜線を真下から見上げている。右が湯沢奥壁の鋭鋒群とアバランチシュート、左は御神楽沢、谷まで深く切り込んでいて、滝が幽かに見えた。左手奥がつばくろ尾根だ。愛機CONTAXを軽量化のため「写るんです」に変更したのが悔やまれた。

後続がコンテで続く。やがて大きな太さ50cmほどの美形な松にでた。このスラブ帯によくも生き残った奇跡のような松だった。松の根元を左のスラブから跨いで進むと高さ6mほどの手がかりのない丸い大岩に行く手を塞がれた。この丸い大岩だけが安山岩のようだった。その岩のクラックにコメツツジが根を食い込ませている。ボルトが打たれていたのでアンカーとした。バンドを右に進みツツジの株を手がかりにして登る。ロープをフィックスできる倒木でセルフビレイ、後続を確保した。

面白い箇所はココまで。 あとは山伏尾根が合流する湯沢の頭までの起伏を左右のバランスをとりながら、ひたすら登るだけだった。幡野は単調さに飽き、P3で稜線を右へ逸れスラブに出て手ごろな壁を見つけ7mほど直上したいと言ってきた。それでも満足させるものではない。ここら辺のスラブは平坦で、なんら怖さも持たないほどフラットバーンだった。

途中、あるはずの岩峰、御神楽槍はどこだったのか???いつ乗り越えたのか??? 印象そのものが薄い。 それらしきものといえば3枚目の画像になるのか?急峻さはないけど、20mはあったかなぁという感じ。御神楽槍の記憶がないまま山伏尾根の合流点を過ぎ、チンタラと湯沢の頭に出た。スラブ群を眺めながめ 6時間かかった。


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登ってしまえば水晶尾根、御神楽槍は、 ナニ コレ・・・? だった。山伏尾根に比べると難度はガタ落ちだ。

でもまあこれで・・・、前回敗退の憂さを2年ぶりに晴らせたことになる。前回は山に魅入ってしまい、時間切れの敗退だった。救助隊出動には至らなかったものの深夜の下山は怖かった。四足動物と遭遇するのが怖い(笑)初めてホイッスルの有難味がわかった。

この山がきっかけとなり かつて通った会津の山々を思い出したように毎年通い続けることになる キッカケの山だったな。前ヶ岳南壁 会津駒~稲子山~城郭朝日岳 田子倉ダム~村杉半島~丸山岳 長須ヶ玉山~花沼湿原、枯木山、三岩岳~窓明山~坪入山~丸山岳~火奴山 会津朝日~大幽山 蒲生~赤崩ハ十里越 霧来川 ・・・



僕らも 3年掛けて当地を調べ歩いた経験があるから岩稜を登れたようなもので、もし貴殿が登るなら 自己責任とセルフレスキューとでお願いします。よって 取りつきも、経過時間も、遡行図も記しません。御承知置きください。(会津や新潟の山岳会なら登攀図記録が残っているかもしれません)この記録は1993/1995年の山行報告を基にブログ用に書き換えたものです。(仙台YMCA山岳会 OB会員)











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by tabi-syashin | 2015-10-29 22:07 | Mount Mikagura | Trackback | Comments(0)

お世話になっている「トラさんのブログ」で、、、ここ最近、「御神楽」に登ったという記事が出ていたので
いちいち20年も前の記録を引っ張り出すのも面倒なので 当ブログのトップに「御神楽の記録」をもってきた。
そのうち用が済んだら 元に戻そうと思う。。。


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下山時、栄太郎新道から見た山伏ドーム



御神楽岳 水晶尾根登攀
この尾根は登攀までいきつくことなく、P5で途中敗退し「下山遅れ」という遭対出動直前の大迷惑をかけた苦い思い出がある。山域に詳しくなかったことで 取り付きの沢を迷ったことから始まり、進んでいく途中で現在地の名称が分かってくると云うオマケつき、挙句 山脈に囲まれたスラブ帯を眺めて非常に感動し、何故か涙が溢れてきてどうすることもできずに尾根に佇み、帰着遅れとなったもので、、、 典型的「お粗末山行」と、自分なりに総括している。翌年、再登攀の日まで お粗末だったがゆえに己れを許せず、ずっと心に重荷を残して一年を過ごしたという、自分にとってこの上ない恥辱の山だった。

翌年、リベンジまでに下調べは大概を済ませ かつ完登したので呪縛解放の岩稜登攀になったと思う。同じく周囲からの目に一年間耐え、ともに技術訓練してきたパートナー幡野も同質の恥辱を味わってきたことから、その雪辱戦でもあった。7月までなら雪崩の雪が詰まって楽に取りつけるというが、やはり岩稜登攀はグレードが上がる秋に限る。若かったので グレードの高い山伏ドームの下部で、ビバークし焚火しながら酒を飲む登攀計画も立てていた。まるで、アホだった。

「登攀記録」は彼に委ねた。当日が来るまで一切計画を口外せず、計画書が会より認められ 再び行けたことに専ら感謝し 1994年に幡野が書いた山行報告をわが記録として 当ブログに残しておきたいと思う。

もっと楽に簡単に尾根にでるスラブルートもあるのだが、それを嫌って下部の尾根末端部から登った。3年掛けて当地を調べ歩いた経験があるから 結果として秋の岩稜を登れたようなもの。取りつき点など詳しい情報や経過時間なども、また遡行・登攀図などもネットには上げません。(仙台YMCA山岳会 OB会員 もときち)


下の写真は 山伏ドームを水晶尾根から撮影したもの。ドームは約100m ボロボロの岩だ。
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御神楽槍への登り



山行報告書 記録:幡野
昨年の敗退から一年が過ぎ、待望の日はやって来た。この一年間、御神楽のことばかり考えていたわけではないが 頭の片隅にはいつもしこりとなって残っていた。自分のことはと言えば 昨年は何も考えず3級程度の岩稜登攀だからといわれ ただついて行っただけだった。だが今年は自分なりにトレーニングもしルートも研究し技術的には必ず越えられるはずだという所まで意識をもっていった。 9月23日前夜発で蝉ヶ平奥の林道終点に23:00到着。 01:00 郡山労山の渡辺さん 嶋津さん遠藤?さん三人到着した。今回はム沢に入渓する郡山パーティと定時交信しながら登ることになっている。挨拶して テントで軽く呑む 02:00 就寝

05:00 起床 軽い朝食を取り 05:40我々のパーティが30分ほど早く出発した。 06:30 湯沢出合い、昨年幕営した場所だ。高頭(コウツムリ)スラブが美しく、また懐かしく見上げられた。ここからヒグチ穴沢の出合いまで広谷川左岸に道がある。昨年はこの存在を知らず河原を進んだ。 07:00 ラクダノ窓沢出合い。広谷川の水量が少ない。07:15本名穴沢出合いだ。いよいよだ、気分が高まる。3~5m3つの滝を越え本名穴沢の広場に到着。ラッぺルに使った昨年の捨て縄を発見した。「なんだか 乗り気しねえなあ」とリーダー。あれ?どうしたんだろ?いつもの高橋さんと様子が違う。今回は絶対失敗できない。昨年のことなど色々なことが頭に浮かんでいるかも???

急峻な本名穴沢左股を詰め 昨年よりも上部に登ってから尾根に取りつきたかったが 3mほどの滝に行く手を阻まれ昨年と同様に右岸の藪から枝尾根に取りつく。露岩と藪のミックスした枝尾根は腕力で上がり、 08:45 水晶尾根末端の稜線にとりつく。岩の穴に水晶を発見した尾根である。昨年はここまで上がるのにかなり苦労した記憶がある。ボロボロのリッジを通過し藪と岩稜の尾根を進むと昨年バックしたP5のスラブ下に到着した。 10:00 なんと昨年より4時間も早い(よし 行ける!単純な私はこの時思った)

10:00の交信を終え、ここからアンザイレンし高橋さんリード2ピッチでP5スラブを越える。3ピッチ目は問題なく幡野が先行でP5の頭に立つ。 10:40 ここで初めて御神楽槍を眼前にする。前衛の鋭い岩稜に守られて見えるP4は迫力だった。(こんなん登れんのかな~と単純な私は直ぐに思ってしまう)P4の前衛峰は左からツルベで2ピッチ進む。「このピッチは楽勝でしたね」と素直に云うと「そんなことは全部終えてからいいなさい 今言うことじゃないだろ?」と軽く怒られた。P4のフェース状の丸い大きな岩は渓流足袋では滑るかもしれない。リングボルトが打たれていたのでそれを確保支点とし 高橋さんがバンドを右へ進みそこからP4へ直上した。

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写真はP3ピーク。


13:00 交信はP3手前。ここまでナイフリッジの稜線にはいくつかのピークがあった。それにしても周りの眺めはまさに絶景!眼前に山伏のドーム、つばくろ尾根、雪崩に磨かれたスラブ群が360度展開している。いままさに御神楽のど真ん中にいるんだな~と実感が湧いてきた。 15:00 P2コンター1020 ム沢のパーティも順調に進んでいるようだ。いくらかガスってきている。P1山伏の頭が見え隠れしている。コンティニュアスで進む。山伏のドームがかなり下になり、やがて山伏尾根と水晶尾根が合わさりついにP1に出た。そこから湯沢の頭までは15分ほどであった。 15:40 ついに湯沢の頭、登攀終了点である。「ついにやりましたね」リーダーと握手。昨年を思い起こし感激もひとしおだった。

ここからの夏道が長く感じられ緊張が解けたためかバテてしまった。 16:50 御神楽岳。17:00の交信でム沢パーティは稜線近くだがまだ沢中にいるらしい。 17:20 本日の宿、御神楽岳避難小屋についた。とりあえずビールで乾杯。宿泊者は他に2パーティ4名のようだ。 夕食のカレーを食べた後にム沢パーティを迎えに本名御神楽に行く。 19:00 ヘッデン行動になったが、真っ暗闇の中を交信すると、、、ようやく稜線に出たとのこと。沢の詰めがほとんど垂直のブッシュでかなり苦労したらしい。 20:00 本名御神楽の山頂で合流した。ビールで乾杯し健闘を讃えあった。小屋に戻り呑み直しとなり、小屋で我々の無事を待つ方々も交えて大いに盛り上がった。

9月24日翌日は再び御神楽を越えて 湯沢の頭から高頭(コウツムリ)へ。山伏のドームが誘っているようにも見える。「いつか山伏尾根やりたいですね」自然な言葉になった。それにしても 高橋リーダーの2年に亘る心労はいかばかりであったろうか。感謝の気持ちでいっぱいである。(記 幡野 1994.09.25)
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御神楽の「槍」のテッペンで、余裕の水(笑)、あと500cc1本 ストックあり!
当時43歳だった。それにしても…、みすぼらしい格好で登っていたもんだ(笑)
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山伏尾根をバックに青年 幡野。ちょいと サマになってねぇ 若いからだな(爆)
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上の写真は 水晶尾根から御神楽沢を俯瞰したもの。右の手前側の斜面はP5からの派生斜面。これを観ると水晶尾根もたっているのが分かるだろうし、向かいの「つばくろ尾根」も急峻だ。最後の詰めはスラブ登りなので意外に楽なのだが・・・途中、水晶尾根のP4、山伏尾根のドームにいたるまでが どちらも厳しそう。下の写真は下山途中、栄太郎新道から見た湯沢の谷。

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下の写真だが 郡山労山パーティとの合同遡行&登攀記念に共に収まったもの(幡野撮影)。この翌年、翌々年か、ガッシャブルムⅠ峰登頂後、C3上部で雪崩に遭い彼岸の人となってしまった。渡辺さんは気概充分な方で 当時新入会員だった友人の夢語り(男の我儘)を聞き入れてくれて わざわざ実現までに事を運んでくれた とても面倒見の佳い人。技術も高く 信頼も厚く 他会の私から見ても素晴らしい方だと思っている。別パーティではあったけれども ニ度もご一緒し 同一山域を歩いている。当会でも この翌年、中央アジアで遭難事故死が発生しており、 それが自分の中で 一つの山の区切りとなって影を落としている。
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by tabi-syashin | 2015-10-29 09:42 | Mount Mikagura | Trackback | Comments(7)

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姉滝は二口林道から手摺り付きの遊歩道に導かれて近くにまで行けるのだが、、、
実際には・・・遊歩道から見える対岸の妹滝を姉滝と勘違いしてしまうようだ。。。

これらは妹滝。

姉滝を観たいなら、少し下流側にある遊歩道を下って 対岸に渡る橋があるはずだが
そこから上流部へ歩かないと見えてこない。この辺が少し不親切な観光課の対応だ。


撮影を終了して、姉滝の反対側斜面に「社」があるのだが  少し登ってみた。
今年の3月頭に 会の木村君が熊と対峙し アイスバイル一本で格闘し
手傷を負いながら熊との戦いに勝利したという 「磐司尾根」である。
キノコが出ているのか?それらしい臭いばかりが漂っていた。

700mほど二口林道を登って、、、磐司沢の入口を確認してきた。
この沢、二口山塊でも興味深い、岳人を寄せ付けない沢だと思っている。。。
二口というと・・・「天国のナメ」という大行沢のイメージばかりが先行するけど
じつは、、、恐ろし気な 地底の底から空を見上げる「暗い沢」もあるのだよ(笑)


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by tabi-syashin | 2015-10-28 18:55 | Mount Futakuchi | Trackback | Comments(6)

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広瀬川 神ヶ根温泉への橋付近で




晴れたからって、、、山に来たんだが
前線の端っこが通過中で 山は曇りだった

とりあえず

近景だけにしようと思ったが そうもいかなかった
それだけ 綺麗だったってことさ。


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by tabi-syashin | 2015-10-28 18:00 | Mount Futakuchi | Trackback | Comments(2)

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若者が15人ほど 中高年が10人ほど。 トレラン3人 山大山岳部 高校山岳部・・・人気の山だ。
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冬季シーズンに備えて 面白山のカモシカ尾根を踏査してきました。

カモシカ尾根972m地点から同1100m地点の細尾根までが コース中で最も冬尾根らしくなる部分。
2月下旬、冬季尾根はグッと細くリッジになって、吊り尾根が形成され、雪庇もバンバン発達。急坂です。

秋になり、繁っていた葉が落ちてスカスカの登山道・斜面を見ると「こんなに痩せてたか?」と一瞬戸惑う。
けっこうな急斜面が 長左エ門道から山頂まで続いてるもんだなと自分で登っておいて驚いたりします。
幅1mほどしかない細尾根と左右の崖が続いて、こんなところを冬季は登っていたんだぁ なんて(笑)


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2月下旬から3月上旬にかけて雪稜が発達するので、昨シーズン同様に ココのクリアを今年も続けて
「冬季雪稜の訓練」としてゆければいいかなぁ。

もう歳なんだから・・・ 一人ラッセル+雪稜アタックは厳しいヨ!心配かけるな!というお達しなので、、、
今年は 雪上キャンプしながら2daysで楽しもうかと キャンプ候補地は2カ所を想定してた。
カモシカ尾根取付き左側の堰堤から上がった台地か カモシカ尾根の水平道手前830m台地に設けようか?

また今年も 愛子駅7時半発の電車で面白山駅まで「カモシカ尾根 冬季雪稜」通いになりそうです。
(ひとりごと・・・)冬季は淋しいから、、、誰か一緒にいかないかー? 幕営して酒飲みしよー!(*´▽`*)

22年前の記憶ですが カモシカ尾根から長命水までの「長左エ門道」は歩きやすかった。
なのに・・・崩れた個所が増えましたね。以前は 小学生20人もつれて歩いたものですが・・・残念。


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700m地点の紅葉は今が盛りでした。
こんな紅葉の中を 長命水まで約1キロも歩く。
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カモシカ尾根から長左エ門道に移り、最初の屈曲部「マリ山沢右俣」手前のブナ黄葉

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by tabi-syashin | 2015-10-24 21:31 | Mount Futakuchi | Trackback | Comments(0)

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104 回 イッズミー

開催日時
2015.11.08
AM10:00~PM14:00

開催場所
泉ヶ岳駐車場


今年も最終回になりました。

みんなで和気あいあい芋煮会を開いて
楽しく今年を閉じたいと思います。


食べよう 芋煮
お椀 お箸 七味 + 笑顔
カンパしてね

              
                 イッズミー遠足部
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by tabi-syashin | 2015-10-21 20:32 | Car | Trackback | Comments(0)

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あれは<青春>と呼ばれる時代の一夜の夢だったのだろうかー。それにしては長くその〈夢〉を引き辷り続けてきたようだ。

かれこれ28年になろうとするこの山との関わりの背後にあるものに思いを巡らせていると、高地岳北壁1ルンゼから自然落石の乾いた音がする。咄嗟に身構えてみたものの、落石はあらぬ方向で炸裂、幽かに硝煙の匂いを残し静寂に還る。

そういえば初めて海谷を訪れた1965年の冬、退散する原因となった大雪崩が発生したのもこの高地岳北壁の1ルンゼだった。それにしてもあの雪崩は凄かった。1ルンゼを突風のように駆け下った泡(ホウ)雪崩は、海川本流を渡り、対岸の仙丈ヶ岳南西壁に突き当たって坂巻き狂騰していた。

振り返ると高地岳北壁が象の顔の相貌を見せて大迫力となってきた。この岩壁にどうしてもカール・マルクスの名を与えたいと主張して譲らなかった徳永憲一は、当時学生運動に熱中し、山にも全学連のヘルメットで現れたのだが、それが卒業と同時にコロッと寝返り、”米帝”の先端企業IBMに入社して私たちを唖然とさせたものだ。

”学生時代のハシカ” ”脳嚙りの身勝手な熱” 様々な批判があり、それも確かに一理はある。それでもなお、確かにある時代に夢に溺れ、社会主義と変革の想いに自己の存立を確認したいと願う心情はあるのだし、残念ながら生きるためにそうした夢を削らずに過し得るほど私たちは強くない。

だがそれでいいのだ。互いに生きていく道筋が違えば、自ずから関りを深める相手も変っていくのが当然。そうして少しづつ青春の蒙み(クラミ)から脱け出し、年老いてゆくのが人の定めというものだろう。

岩を攀り損ねて、墜落することよりも社会的に失墜することの方が恐ろしく、耐え難い。”死ぬ気になれば・・・”と人は言うが、ジワジワと真綿で首を締めつけられ、社会的に葬り去られるのではないかという不安に較べれば、瞬間の死など気楽なものなのだ。
幽かにそれと判別できる程度の焼山の噴煙を眺めながら、そんなことを考えていると、早川谷を渡る風のさざめきに乗って誰かの声がする。
「駄目だよ、まだ・・・・・」 藤平の声だ。
「まだ終わってないだろ」 これは木村の声だ。
木村秀雄、彼は私が約束を破って参加を取り消した駒ヶ岳南西壁の試登中、墜落死した男だ。木村は冬の海谷の岩壁登攀を提起し、私に強く実行を迫ったのだが、その最初の試みで遭難してしまった。

昼闇山(ヒルクラヤマ)、それは、海谷のすべての課題が終わったら一緒に登ろうと、ひと足先に旅発った彼らと約束していた山だった。






大内尚樹 昼闇山(海谷山塊)白山書房より抜粋

注:大内氏は 駒ヶ岳南西壁 冬季単独登攀を成し遂げた。昼闇山に登って、回想したのがこの「約束の山 昼闇山」である。


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by tabi-syashin | 2015-10-20 09:31 | 書棚紹介 | Trackback | Comments(0)