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水晶尾根から見上げる「山伏ドーム」。上部40m? 下部50m?、ざっと100mほどの垂壁。栄太郎新道側から撮ったドームの写真はよく見かけるけど、水晶尾根側からの写真は滅多に拝めない。となると この画像(Fujifilm 写るんです)は貴重品だな。

この写真で ルートを読むとしたら・・・もっとも写真では解りかねるが。。。下部は左上クラックから取りついて1ピッチ、2ピッチ目はルンゼを直上、ブッシュの処理が問題そして中間台地に乗らずにそのまま上部カンテ取りつきまで進む。カンテは2ピッチほど?で山頂。約3時間かな? 新潟山岳会の古い記録によると・・・ドーム基部で野営した ともある。


昔から 一つのことに惚れっぽいというか 脇目も振らずに集中する癖がある。一旦、始めだしたら飯も食わずに 徹夜してでも成し遂げてしまう悪い癖。今夜は手を止めて、楽しみを明日にとって置く などと云うことはできない性分。

南会津に御神楽と云う雪崩に磨かれた岩だらけの山がある。あるとき そこに登れないだろうか? 難しいだろうか? できそうかな?という思いが生じたのが運のつき。自分の技量もそこそこに、登りたい、焦りにも似た「気」が先に立つ。痩せ馬の先走りだ。

会津側から三条という廃墟集落を通過し、八乙女滝からの細尾根を登るのだが・・・林で囲まれているので安心していられる。でもきつい登りだったことは覚えている。反対側の新潟側から登れば・・・その細尾根は樹木がなく左右スッカラカンだ。細い岩尾根だけがぐいぐいと山頂稜線に数本も突き上がる。

三条集落だが 浦和浪漫山岳会が霧来沢水系に通い始めた数年は人が住んでいたという。それは1981年ごろのこと と浦和浪漫の"鉄人"坂内氏が記していた。

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初めての湯沢岩壁。1993.10.3



稜線に連なる岩尾根は 新潟側から栄太郎新道 山伏 水晶 つばくろ尾根。初めてなので、勝手がわからず湯沢出合の野営地にテントを張って まずは下見した。湯沢の小さな流れのどん詰まりは 広くポカンと広場になっていた。広場の中央に大岩。20mほどの湯沢大滝が正面に構える。その奥は驚愕の奥壁群! 体が初めて凄んだ。

それは 秋だというのに雪渓の残骸が黒々としており 横の岩にはピンが4本ほど打たれ右のフェース状を登ってバンドを左に亘って大滝を乗っ越すらしい・・・とまでは分かった。

初めて心底ブルった。 明日は大丈夫だろうか? 不安だらけだった。 その夜は焚き火をたいて大酒を飲んで寝た。

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2回目は中央の水晶尾根。1995.9.24

水晶の細尾根は山伏尾根よりは簡単(らしい)、御神楽は岩質が脆くボロッといく。とだけ聞いていた。

まずは湯沢から先、水源まで広谷川左岸を進み、ラクダの窓沢を過ぎて本名穴沢との出合いに至る。本名穴沢沿いの途中、左から入るトマノ左俣に入って 水晶尾根末端の丘に登りついた。前回の敗退が頭にあるので何としてでもクリアしておかなくちゃ。呪文は「山伏よりは岩は立っていない」だ。

先行で枝尾根にとりつく、小松の枝が邪魔ながら20mも登れば 所々の岩穴に3cmほどの水晶が光る主尾根に出た。水晶尾根の名前の由縁だった。水晶尾根に上がった途端 素晴らしい景色が飛び込んできた。御神楽稜線からは何度も見下ろしたことがあったが 今は奥壁の上に広がる稜線を真下から見上げている。右が湯沢奥壁の鋭鋒群とアバランチシュート、左は御神楽沢、谷まで深く切り込んでいて、滝が幽かに見えた。左手奥がつばくろ尾根だ。愛機CONTAXを軽量化のため「写るんです」に変更したのが悔やまれた。

後続がコンテで続く。やがて大きな太さ50cmほどの美形な松にでた。このスラブ帯によくも生き残った奇跡のような松だった。松の根元を左のスラブから跨いで進むと高さ6mほどの手がかりのない丸い大岩に行く手を塞がれた。この丸い大岩だけが安山岩のようだった。その岩のクラックにコメツツジが根を食い込ませている。ボルトが打たれていたのでアンカーとした。バンドを右に進みツツジの株を手がかりにして登る。ロープをフィックスできる倒木でセルフビレイ、後続を確保した。

面白い箇所はココまで。 あとは山伏尾根が合流する湯沢の頭までの起伏を左右のバランスをとりながら、ひたすら登るだけだった。幡野は単調さに飽き、P3で稜線を右へ逸れスラブに出て手ごろな壁を見つけ7mほど直上したいと言ってきた。それでも満足させるものではない。ここら辺のスラブは平坦で、なんら怖さも持たないほどフラットバーンだった。

途中、あるはずの岩峰、御神楽槍はどこだったのか???いつ乗り越えたのか??? 印象そのものが薄い。 それらしきものといえば3枚目の画像になるのか?急峻さはないけど、20mはあったかなぁという感じ。御神楽槍の記憶がないまま山伏尾根の合流点を過ぎ、チンタラと湯沢の頭に出た。スラブ群を眺めながめ 6時間かかった。


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登ってしまえば水晶尾根、御神楽槍は、 ナニ コレ・・・? だった。山伏尾根に比べると難度はガタ落ちだ。

でもまあこれで・・・、前回敗退の憂さを2年ぶりに晴らせたことになる。前回は山に魅入ってしまい、時間切れの敗退だった。救助隊出動には至らなかったものの深夜の下山は怖かった。四足動物と遭遇するのが怖い(笑)初めてホイッスルの有難味がわかった。

この山がきっかけとなり かつて通った会津の山々を思い出したように毎年通い続けることになる キッカケの山だったな。前ヶ岳南壁 会津駒~稲子山~城郭朝日岳 田子倉ダム~村杉半島~丸山岳 長須ヶ玉山~花沼湿原、枯木山、三岩岳~窓明山~坪入山~丸山岳~火奴山 会津朝日~大幽山 蒲生~赤崩ハ十里越 霧来川 ・・・



僕らも 3年掛けて当地を調べ歩いた経験があるから岩稜を登れたようなもので、もし貴殿が登るなら 自己責任とセルフレスキューとでお願いします。よって 取りつきも、経過時間も、遡行図も記しません。御承知置きください。(会津や新潟の山岳会なら登攀図記録が残っているかもしれません)この記録は1993/1995年の山行報告を基にブログ用に書き換えたものです。(仙台YMCA山岳会 OB会員)











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by tabi-syashin | 2015-10-29 22:07 | Mount Mikagura | Trackback | Comments(0)

お世話になっている「トラさんのブログ」で、、、ここ最近、「御神楽」に登ったという記事が出ていたので
いちいち20年も前の記録を引っ張り出すのも面倒なので 当ブログのトップに「御神楽の記録」をもってきた。
そのうち用が済んだら 元に戻そうと思う。。。


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下山時、栄太郎新道から見た山伏ドーム



御神楽岳 水晶尾根登攀
この尾根は登攀までいきつくことなく、P5で途中敗退し「下山遅れ」という遭対出動直前の大迷惑をかけた苦い思い出がある。山域に詳しくなかったことで 取り付きの沢を迷ったことから始まり、進んでいく途中で現在地の名称が分かってくると云うオマケつき、挙句 山脈に囲まれたスラブ帯を眺めて非常に感動し、何故か涙が溢れてきてどうすることもできずに尾根に佇み、帰着遅れとなったもので、、、 典型的「お粗末山行」と、自分なりに総括している。翌年、再登攀の日まで お粗末だったがゆえに己れを許せず、ずっと心に重荷を残して一年を過ごしたという、自分にとってこの上ない恥辱の山だった。

翌年、リベンジまでに下調べは大概を済ませ かつ完登したので呪縛解放の岩稜登攀になったと思う。同じく周囲からの目に一年間耐え、ともに技術訓練してきたパートナー幡野も同質の恥辱を味わってきたことから、その雪辱戦でもあった。7月までなら雪崩の雪が詰まって楽に取りつけるというが、やはり岩稜登攀はグレードが上がる秋に限る。若かったので グレードの高い山伏ドームの下部で、ビバークし焚火しながら酒を飲む登攀計画も立てていた。まるで、アホだった。

「登攀記録」は彼に委ねた。当日が来るまで一切計画を口外せず、計画書が会より認められ 再び行けたことに専ら感謝し 1994年に幡野が書いた山行報告をわが記録として 当ブログに残しておきたいと思う。

もっと楽に簡単に尾根にでるスラブルートもあるのだが、それを嫌って下部の尾根末端部から登った。3年掛けて当地を調べ歩いた経験があるから 結果として秋の岩稜を登れたようなもの。取りつき点など詳しい情報や経過時間なども、また遡行・登攀図などもネットには上げません。(仙台YMCA山岳会 OB会員 もときち)


下の写真は 山伏ドームを水晶尾根から撮影したもの。ドームは約100m ボロボロの岩だ。
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御神楽槍への登り



山行報告書 記録:幡野
昨年の敗退から一年が過ぎ、待望の日はやって来た。この一年間、御神楽のことばかり考えていたわけではないが 頭の片隅にはいつもしこりとなって残っていた。自分のことはと言えば 昨年は何も考えず3級程度の岩稜登攀だからといわれ ただついて行っただけだった。だが今年は自分なりにトレーニングもしルートも研究し技術的には必ず越えられるはずだという所まで意識をもっていった。 9月23日前夜発で蝉ヶ平奥の林道終点に23:00到着。 01:00 郡山労山の渡辺さん 嶋津さん遠藤?さん三人到着した。今回はム沢に入渓する郡山パーティと定時交信しながら登ることになっている。挨拶して テントで軽く呑む 02:00 就寝

05:00 起床 軽い朝食を取り 05:40我々のパーティが30分ほど早く出発した。 06:30 湯沢出合い、昨年幕営した場所だ。高頭(コウツムリ)スラブが美しく、また懐かしく見上げられた。ここからヒグチ穴沢の出合いまで広谷川左岸に道がある。昨年はこの存在を知らず河原を進んだ。 07:00 ラクダノ窓沢出合い。広谷川の水量が少ない。07:15本名穴沢出合いだ。いよいよだ、気分が高まる。3~5m3つの滝を越え本名穴沢の広場に到着。ラッぺルに使った昨年の捨て縄を発見した。「なんだか 乗り気しねえなあ」とリーダー。あれ?どうしたんだろ?いつもの高橋さんと様子が違う。今回は絶対失敗できない。昨年のことなど色々なことが頭に浮かんでいるかも???

急峻な本名穴沢左股を詰め 昨年よりも上部に登ってから尾根に取りつきたかったが 3mほどの滝に行く手を阻まれ昨年と同様に右岸の藪から枝尾根に取りつく。露岩と藪のミックスした枝尾根は腕力で上がり、 08:45 水晶尾根末端の稜線にとりつく。岩の穴に水晶を発見した尾根である。昨年はここまで上がるのにかなり苦労した記憶がある。ボロボロのリッジを通過し藪と岩稜の尾根を進むと昨年バックしたP5のスラブ下に到着した。 10:00 なんと昨年より4時間も早い(よし 行ける!単純な私はこの時思った)

10:00の交信を終え、ここからアンザイレンし高橋さんリード2ピッチでP5スラブを越える。3ピッチ目は問題なく幡野が先行でP5の頭に立つ。 10:40 ここで初めて御神楽槍を眼前にする。前衛の鋭い岩稜に守られて見えるP4は迫力だった。(こんなん登れんのかな~と単純な私は直ぐに思ってしまう)P4の前衛峰は左からツルベで2ピッチ進む。「このピッチは楽勝でしたね」と素直に云うと「そんなことは全部終えてからいいなさい 今言うことじゃないだろ?」と軽く怒られた。P4のフェース状の丸い大きな岩は渓流足袋では滑るかもしれない。リングボルトが打たれていたのでそれを確保支点とし 高橋さんがバンドを右へ進みそこからP4へ直上した。

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写真はP3ピーク。


13:00 交信はP3手前。ここまでナイフリッジの稜線にはいくつかのピークがあった。それにしても周りの眺めはまさに絶景!眼前に山伏のドーム、つばくろ尾根、雪崩に磨かれたスラブ群が360度展開している。いままさに御神楽のど真ん中にいるんだな~と実感が湧いてきた。 15:00 P2コンター1020 ム沢のパーティも順調に進んでいるようだ。いくらかガスってきている。P1山伏の頭が見え隠れしている。コンティニュアスで進む。山伏のドームがかなり下になり、やがて山伏尾根と水晶尾根が合わさりついにP1に出た。そこから湯沢の頭までは15分ほどであった。 15:40 ついに湯沢の頭、登攀終了点である。「ついにやりましたね」リーダーと握手。昨年を思い起こし感激もひとしおだった。

ここからの夏道が長く感じられ緊張が解けたためかバテてしまった。 16:50 御神楽岳。17:00の交信でム沢パーティは稜線近くだがまだ沢中にいるらしい。 17:20 本日の宿、御神楽岳避難小屋についた。とりあえずビールで乾杯。宿泊者は他に2パーティ4名のようだ。 夕食のカレーを食べた後にム沢パーティを迎えに本名御神楽に行く。 19:00 ヘッデン行動になったが、真っ暗闇の中を交信すると、、、ようやく稜線に出たとのこと。沢の詰めがほとんど垂直のブッシュでかなり苦労したらしい。 20:00 本名御神楽の山頂で合流した。ビールで乾杯し健闘を讃えあった。小屋に戻り呑み直しとなり、小屋で我々の無事を待つ方々も交えて大いに盛り上がった。

9月24日翌日は再び御神楽を越えて 湯沢の頭から高頭(コウツムリ)へ。山伏のドームが誘っているようにも見える。「いつか山伏尾根やりたいですね」自然な言葉になった。それにしても 高橋リーダーの2年に亘る心労はいかばかりであったろうか。感謝の気持ちでいっぱいである。(記 幡野 1994.09.25)
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御神楽の「槍」のテッペンで、余裕の水(笑)、あと500cc1本 ストックあり!
当時43歳だった。それにしても…、みすぼらしい格好で登っていたもんだ(笑)
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山伏尾根をバックに青年 幡野。ちょいと サマになってねぇ 若いからだな(爆)
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上の写真は 水晶尾根から御神楽沢を俯瞰したもの。右の手前側の斜面はP5からの派生斜面。これを観ると水晶尾根もたっているのが分かるだろうし、向かいの「つばくろ尾根」も急峻だ。最後の詰めはスラブ登りなので意外に楽なのだが・・・途中、水晶尾根のP4、山伏尾根のドームにいたるまでが どちらも厳しそう。下の写真は下山途中、栄太郎新道から見た湯沢の谷。

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下の写真だが 郡山労山パーティとの合同遡行&登攀記念に共に収まったもの(幡野撮影)。この翌年、翌々年か、ガッシャブルムⅠ峰登頂後、C3上部で雪崩に遭い彼岸の人となってしまった。渡辺さんは気概充分な方で 当時新入会員だった友人の夢語り(男の我儘)を聞き入れてくれて わざわざ実現までに事を運んでくれた とても面倒見の佳い人。技術も高く 信頼も厚く 他会の私から見ても素晴らしい方だと思っている。別パーティではあったけれども ニ度もご一緒し 同一山域を歩いている。当会でも この翌年、中央アジアで遭難事故死が発生しており、 それが自分の中で 一つの山の区切りとなって影を落としている。
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by tabi-syashin | 2015-10-29 09:42 | Mount Mikagura | Trackback | Comments(7)

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今日のルートは当会初となるので「右スラブ」ということらしい。来年はV字スラブに数パーティだすそうなので楽しみである。06:30に登山口に霧来川左岸をいく。八乙女滝を眺め 八丁滑坂をすぎ 鞍掛沢辺りから入渓する。右岸からの雪渓で谷が埋まり緊張する。地形図コンター547を07:30にすぎ 雪渓をわたって何度目かのカーブを過ぎると急傾斜のゴーロは二股になり 南壁が現われる出合いに着く。

ドンとスラブ群が屹立してのお出迎えである。中でも緩い右スラブはここからは未だ見えない。目前のV字スラブは右から第1、第2、第3、第4 中央リッジが盛り上がりそれを挟んで、登山体系に書かれている左フランケが陰にある。中央リッジ稜の日陰は赤いスラブ側に落ちている。垂壁登攀となる赤いスラブは白いバンドの上に立っていた。三本スラブの上部半分、二本のリッジに区切られた三本スラブ右、中、左ルートなどが明瞭だった。じつに凄いところに来ていると実感した。

委縮しているのも束の間 緊張の中 この出合いを右へさらにゴーロ状の急斜面を越えて右スラブ出合いに着く。「V字にいきてぇ」とパートナーが叫ぶw 確かにこの位置から見える我々の行く手 右スラブはただの雪渓が詰まった谷としか思えなかった。それに比べてV字2、3スラブはスッキリしていた。

登攀用具をつけて 渓流足袋に4本爪軽アイゼンを装着しサクサク音を立てゆるゆる進むと二股になり左手上部にピンク色というか肌色のスラブが見えてきた。これだこれだ 待ってました!と気が充ちてくる。取り付きの滝を2、3超えると 如何にも中年オヤジのお腹のような緩く突き出た岩に邪魔され取り付きにくそうな 凹状の7m涸滝だ。西田くんが直登するが「滑る~滑る~ザイル欲し~」と騒ぎながら攻め上がってゆく。それを観て直登を避け右カンテ状から滝上に出てお助けスリングの準備をしたが ほぼ同時ぐらいに西田くんが上がってきた。ここからはスラブが200mぐらい続く 斜度は40度?と南壁の中では緩いスラブだった。さらにノーザイルで行くがアキレス腱が伸びきってしまいそう。中間のテラスで休憩し 渓流足袋からスラブ登り用のスメアリングシューズに履き替えた。 岩登りではない、単純なスラブ登りだがフリクションが効いて気持よい。
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テラスから上は壁が起きてくるのでコンティニュアスで進む。スラブというか アバランチシュートのただ中にいると云う感じで 我々2名だけの登攀者は小粒のように思え孤独にさえ感じる。時おり ガラガランガーンガーンと岩が転がり落ちてゆく。シュート上部にフェイス状に立つ5mほどの岩場があり その付け根を横切り右手のリッジ状岩峰に立つ。リッジのさらに右隣のシュートの先は夏道(杉山ヶ崎)のはず。高度感のある谷の向こうに日尊倉山と貉ヶ森山が綺麗に見えていた。その右には東岐山や小金花など赤崩山まで会越国境の山群が続いている。スラブの岩肌に残った山土に淡いピンクのトキ草が数株咲いていた。雪崩で削がれでもしたら来年に咲くか咲かぬかわからぬスラブ帯の花はいっそう愛おしかった。谷から温風が上がってきていた。太陽がジリジリと照りつけた。

最後の尾根に出る際にコンテを解き シュリンゲをアブミにして最後の壁を木登りでクリアし本名の避難小屋まで軽く藪こぎした。本名の避難小屋から本名御神楽岳まで登り 一年ぶりの水晶尾根を眺めたが・・・、なんと!水晶の壁が緩く見えるではないか。これなら今年の秋に挑めるかもしれないと思った。
1994年 山行記録より
この年の秋に幡野とで水晶尾根登攀をトライ 郡山労山渡辺・嶋津パーティの広谷川ム沢スラブ登攀を ともに敢行し互いに雪辱を果たし呪縛から解放されている

反面 下山途中の夏道から右手に見える南壁スラブ群は意外にも壁のように立って見えたので少し驚いた。先程まで緩く思えたのは気のせい? また挑みに来いよとでも言われた様だった。谷を眺めながら冷えたビールで喉を潤した 昨年の途中敗退を思い出しけっこう泡が浸みたのを覚えている。                                             
翌々年 再びこのルートを登ったが途中から左右にスラブを分けるリッジを追い山頂まで登攀した。会津本名からも含めて6年連続で通い続け 思いは達せられた。

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御神楽岳 前ヶ岳V字スラブ壁。右から第1 第2 第3 第4 左フランケ 三本スラブ右、中、左 赤いスラブと並ぶ  
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by tabi-syashin | 2013-11-12 23:45 | Mount Mikagura | Trackback | Comments(0)