本元飯豊山 (ほんもといいでさん) 

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前回と同じ「山名考」を掲げた。先日は「三菱伸銅(株)山岳会」の森澤堅次さんの寄稿によるものだったが、今回は江花俊和さん日本山岳会・科学委員会委員」による山名考だ。お二人ともに南会津山の会の会員であり、地元の名士でもあられる。

森澤さんは「ホンモトイイトヨサン」と呼び 江花さんは「ホンモトイイデサン」と呼称するが どちらも同じ山である。どちらの読み方も拾えているので、一方を間違いと捉えるものではない。

この山の所在を知るにはこちらの江花さんの寄稿文によると詳細に解る。(南会津山の会いろりばた72号より抜粋)



「本家本元」という言葉がある。こっちが「大本」(オオモト)になるということを意味するが、この「本元」と冠した山名が実に面白い事と 飯豊山の剣ヶ峰や御秘所に見立てたと思われる岩が連なっていて、リンゴ大の穴を無数に持った岩窟(ハング状)がある と聞き興味を掻き立てられた。

この山は大戸岳の北東、高畑山の中腹にある。しかし「山」といってもピークではない。「高畑山の支稜の標高680mの岩稜」である。新編会津風土記によると 高畑山は昔飯豊権現を勧進せし所なりと云、毎年八月村民此れに参詣す とある。






上三寄(カミヨリ)の南外れの大川にかかる橋の手前、旧道との分岐を少し行った左の店の所から入り、すぐに右に折れる。道は田圃から急に山間に入り、闇川(クラカワ)の断崖沿いに変わる。この奥に集落があるとはとても信じられない、そんな深山の雰囲気である。

菅沼、四ツ谷、闇川の集落を過ぎ、大戸岳への道を右に見て、桑曽根、そして最後の集落の入小屋に着く。参道入口はさらに1キロ先である。本元飯豊山参道入口の小さな標識が左側にあって、少し入ると薄暗い木立の中に飯豊山の大きな石碑があった。

今にも倒れそうな鳥居をくぐる。田畑の跡地から林道を横切ると道がはっきりしてほっとする。小沢のほとりのお姥様に頭を下げてしばらく行くと杉林の登りにかかる。本当にこの先に飯豊山があるのだろうか、間違ったかな?と思ったとき 注連縄が鳥居のように頭上にあるのを観て安心した。

見上げると岩の続く急登になる。注意さえすれば危険はなく困難でもない。すぐに右に大きな岩が現れ「若木大権現」と記された木札があった。明るい尾根から再び大きな岩が現れ 幾つめかの岩を左に捲いて、無数に風化した穴のある異様な奇岩が立ちふさがる。

岩の下は広く ざらざらした白っぽい裸地で賽の河原という感じである。「一之王子大権現」、「御裏三宝大荒神」などの木札と七寸の鉄剣が祀られていた。岩の左下をまわって今にも壊れそうな梯子を上って 鎖の登りを終えると松の大木の間から社が見える。

本元飯豊山神社は 岩稜の南面の岩棚にある。幅二間、奥行き一間ぐらいで、「金躰大日大聖大権現」の木札と三十本あまりの剣が祀ってあった。社の左の胎内岩へは鎖があり、二人ぐらい入れる岩穴があった。回り込むと稜線となった。

帰路は参道とは反対側、鬱蒼とした道だが入小屋の村外れにでる。二十三夜塔と飯豊山の石碑がある。ここから車を置いた入口まで長い道を徒歩で引き返す。

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旧暦八月八日(新暦9月12日前後)が祭礼の日
村人たちがお神酒や肴を背にして登り
先達か法印が詔りを奉じて
五穀豊穣と村内安全、家内安全を祈願する










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by tabi-syashin | 2015-11-15 11:16 | iroribata | Trackback | Comments(0)