本元飯豊山 (ほんもといいとよさん)






会津には古くからの地域山岳会が存在する。なかでも珍しい、職域で古くから活動する山岳会がある。「三菱伸銅山岳会」 知る人ぞ知る「会津の老舗」、職域山岳会だ。以前は玉川機械金属(株)山岳部だったが社名変更のため現行名となった。
そこでは「ふみあと」という会報誌を出しているが、その会報誌に寄せられた一文から 例によって「本元飯豊山」の文言があるので転載しようと思う。寄稿者はがっちりした体躯の森澤堅次さん。

「上三寄の町はずれから闇川をさかのぼった。10分程で菅沼、四ツ谷、高川、桑曽根、入小屋の村々を過ぎていた。闇川沿いの村々が細長いことを知った」、、、と記されており これが昭和六十年の話であるから今から20年前の話であろうか。1/25000図で845m峰、890m峰、961m峰の何れかが本元飯豊山であると記しており 文末に社殿裏手から30分ほどで890mと記してあるので それが本元飯豊山であろうか・・・この辺りの書きっぷりが 豪放磊落な森澤さんらしい。

さらに覚書によると・・・



神主を太夫様(たゆうさま)と呼び 5年に一度ずつ交代する。
今年(昭和60年、1985年)は加藤勝さんが太夫様。
加藤光雄さん宅には掛け軸が残っており、
9月7日は宵祭りがあり、18名ほどの男衆が集まるとの習わしを聞き取りしている。
祝詞は3回繰り返す
「あやに あやに ふすすくたふと いいでの おやまの かみの ねがいを おろがみ まつる」

社殿は昭和26年(1951年)8月6日の建立である。
金身体両大日大聖大権現などの御札が奉納されていた。

・・・とある。


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「会津名山案内」の大関さんによると・・・762mピークのあるところが高畑山とされていたというから 
森澤さんの890mを「本元・・・」とするこの記述は間違っていると思われる。
実際に登るのであれば、「会津名山案内」http://aizunogakujin.web.fc2.com/honmotoiidesanroad.htm を参照されたし。
GPS軌跡が載っているので 間違うことはない。



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この会報「ふみあと」には昭和40年ごろの貴重な飯豊山登拝の記録があって、、、
なかに、深田久弥の辿った山形県と福島県との県境に拓かれた登山道のことが記されていた。

牛ヶ岩山の尾根道は昭和37年にひらかれ 深田久弥はその年にここを通って五段山を経由し
熱塩加納村に下りていた。
五段山にはブナ林の急坂があり五段になっており、五段坂と名付けられた・・・ とある。

数え歳13歳の飯豊詣りの時には 先達からこう言われるらしい。。。
「悪い事をした者は ここで谷底に落ちる」と脅される。そう、ここが剣ヶ峰である。























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by tabi-syashin | 2015-11-13 19:24 | Mount Iide | Trackback | Comments(0)