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私の書棚・「いろりばた」58号

かつて南会津山の会が発行した、会報「いろりばた」の紀行文を 「デジタル化して遺そう」という私的な試み。この冬できるだけタイピングしたいと思う。だが、作者独特のおくり仮名遣いや旧漢字遣いが意外に伏兵だったりして とことん自分の常識が覆され 失笑してばかりでなかなか進まず(笑)

このシリーズもついに二桁となった。けっこう肩がこるし目も疲れるし、やってみると意外とたいへん。OCRリーダーがあればなぁ・・・w さて今回は、会報「いろりばた」58号から いよいよ身近な存在となって、、、成田安弘さんの登場である。「明神ヶ岳(挟間峠より)」を選びデジタル化した。郡山山岳会の会長を歴任された成田さん、私の年代に近付くにつれて旧仮名づかいから新仮名づかいへと変遷する感があり、タイピングもしやすくなる。

版権や著作権などの権益問題がからむようなので「抜粋」の形をとった。後に目次と表題だけのインデックスを加えた。では何分宜しくお願いします。

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表紙写真「アオバヅク」 佐藤 光 撮影
南会津山の会「いろりばた」第58号 昭和53年10月発行

目次
表紙の写真「アオバヅク」・・・佐藤 光
写真「丸山岳から燧ケ岳を見る」・・・江花俊和・・・1
写真「紅葉の明神ヶ岳」・・・成田安弘・・・2
写真「吾妻のカモシカ」・・・佐藤 光・・・2
写真「詩 音のない世界」・・・成田安弘・・・3

写真「春の総会参加者」・・・目黒 実・・・4
川桁山二題「晩秋の川桁山」・・・佐竹成夫・・・5
川桁山二題「残雪の川桁山」・・・森沢堅次・・・7
明神ヶ岳(狭間峠より)・・・成田安弘・・・8
小舟峠と白山・・・佐藤敏彦・・・11

真冬美の磐梯・・・森沢堅次・・・13
中山の風穴と中ノ沢観音・・・祖父川精治・・・15
七時雨山・・・笠原藤七・・・18
昭和五十三年春の総会報告・・・目黒 実・・・21
事務局だより 20周年記念総会案内・・・24

会員だより・・・24
事務局だより・・・25
編集後記・・・26



明神ヶ岳(狭間峠より)・・・成田安弘

・一本杉の所に明神ヶ岳入口の道標があった。登山道は、ススキの原にうずもれて、明神ヶ岳へと続いている。春にはワラビが一杯出そうな所である。ススキの原も終えるころ、山葡萄を見つけて、左手に山肌を捲いて、雑木の林を登り切ると一メートルはあると思われる立派な石の社が現われる。ここからの眺望は、遠く磐梯山、刈り入れも大分進んだ会津盆地が、箱庭のように眺められ、一休みには丁度よい所である。私達は、この大きな石の社を、戸のようにして運んだのだろうかと話し合った。

「会津の峠」には次のように書いてある、『伊佐須美神天宮の地・明神ヶ岳』 「挟間峠を登るとすぐ右手が明神ヶ岳、左が鞍掛山である。明神ヶ岳からは会津盆地が一望におさめられ遠く猪苗代湖まで見えて全くの絶景である。伊佐須美神社のあった跡は東の斜面のやや平らなところである。現在高田町宮林鎮座の伊佐須美神社は奥州二の宮として、奥州一之宮の塩釜神社に次ぐ延喜式の神祇中にある奥州百座の一つで有名である。

もと会津と越後の国境にそびえる大沼郡金山町の御神楽岳から博士山に移り、欽明天皇十三年に現在地に遷座されたと伝えられる。山頂よりはすこし下ったところであるが「實保四甲子三月十五日、大岩村施主村中」と彫った高さ一メートル余の石祠が祭られていて、毎年明神ヶ岳山開きのとき神事が行われている。この大きな切石は冬季の堅雪を利用して引き揚げたものであろう。」とある。明神ヶ岳は雨乞いの山であったとも伝えられる。

明神ヶ岳には、もう一登りの感じであり、色づいた林の中に、割合急な道が続き、一汗も二汗もかかされ尾根に登ると、ブナの大木も現われ、ゆるい尾根から少し登ると、二等三角点の明神ヶ岳の山頂に着いた。山頂の手前からみるブナの白い幹は、紅葉の中に、見ごたえのある美しさであったが、楽しみにしていた山頂からの眺めは、期待に反して、眺望がきかなかった。山頂で紅茶を沸かす間、茸を捜すのに、北東の斜面を歩いてみたが、ほんの一握り見つけただけであった。しかしこの斜面から眺望は素晴らしく、会津盆地が手に取るように見えて、菅沼から沢を登るのも面白いのではないかと思われた。

山頂でのティータイムを楽しみ、紅葉の山々を眺めながら、石の社迄下ると、会津盆地には、刈入れの終った田圃に、藁を燃やす火が見えた。夕暮れのせまった狭間峠後にして、大岩の部落迄、約一時間の下りであった。大岩村の村名の起因といわれる断崖と、大岩観音を見学した。ここは会津三三札所の二七番ということである。もう暗くなった中で、荒れた地池が、昔栄えた面影を漂わせていた。廃村となり、淋しさに包まれた大岩村を後に、松沢温泉へと急いだ。振り返ると明神ヶ岳は暗く塗りつぶされていた。

山深み
 池に流れの音そえて
  浮世の夢をあらう松風 

               二七番大岩観音、御詠歌 (本文より抜粋)

編者注
高田 (会津高田 あいづたかだ)
伊佐須美神社 (いさすみ)
Commented at 2015-11-05 21:00
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by tabi-syashin at 2015-11-05 21:36
> okimasa85さん

尊敬するお父上です。

仙台の他会に所属する僕らですが 同じことが 沢登りのバイブルになってるほどリスペクトされている 東京の山岳会もある程です。バックナンバーも大事ですが、最も大事な書物は・・・というと 私にとって、「南会津郡西部の山と谷 上下」2巻です。お宝です。

ブナのキリツケでお父上が撮影されたと思われるキリツケを偶然にも発見した時には 飛び上がってガッツポーズしたほどです。白い雪の世界に迷って キリツケを発見し お父上と同じルートを選択して歩いたことが 自分にとって最高の誉れでした。 また近況などをお知らせください。
Commented by tabi-syashin at 2015-11-05 22:23
バックナンバーで 未入手のものがあるんですが・・・
大事な書物なので 厚かましいですがお借り出来たら至上の喜びです。
Commented by tabi-syashin at 2015-11-17 08:08
かつて 当ブログにこんな記事を載せていました。
ご笑覧ください。

http://tabilogue.exblog.jp/19955198/

http://tabilogue.exblog.jp/15803060/
by tabi-syashin | 2015-01-09 14:29 | iroribata | Comments(4)