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面白大権現 や~い

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1991年ごろの山岳会秋の山行(焼石岳で天竺沢登りと夏道往復パーティとの合同写真かも)。
前列左から3人目が深野会長、右隣が西田くん、右端が菅原某さん。後列 左から東北脊梁山脈単独縦断した今出さん、私、佐野さん




面白山については 深野稔生著「宮城の山ガイド」に拠ることが多いが、、、その刊行一年ほど前、当時YMCA山岳会の会長だった深野氏が「面白大権現の御神体探し」を企画したことがあった。面白山といえば、奥新川駅から「北沢遡行」、南沢から「奥新川峠探訪」、穴戸沢の不法投棄された「ゴミ拾い」と権現様峠、さらに地域の子供会30人と一緒に「面白山で縄文人の矢じりを拾おう!」等々企画されてはきた(黒曜石の矢ジリ、粘板岩の矢ジリなどを収拾)が ここ面白山大権現の御神体はいかなるものか?などとは一度も考えたことはなく、面白い企画を打ち立てたもんだなぁと感心しきりで その話に乗らないわけがなかった。

面白山高原駅に降り立ちそこから紅葉川に下りて遡行開始、そのまま権現沢に直接入らずに わざわざ荷負(ニオイ)沢へ左折してアプローチする・・・権現沢に向かわないで、変だな?と感づいた会員は少なかったようだ。このあたりが深野マジックとでもいうのか、プロローグから会員の頭を混乱させて現地には遠回りにアプローチさせ、御神体に近づくのは難儀だよ と思わせる、レトリックを講じる手の込みようが窺える。会員は長左衛門道にぶち当たってアレレ?となり、深野さんは「道を間違えたゴメンゴメン」とわざとらしく謝るわけである。まあ筋書き通りなんでしょう(笑)

深野さんは面白山の謂れや 御神体の場所を地元の年寄りたちに聞き取り調査を数回行っており、とうに心得ていたはずで わざと間違えたふりをして 相当の距離を我々会員に歩かせ 再び 大黒渕のある紅葉川に戻るように仕掛けたのである。山岳会員なら普通に1時間ほどで着くところを4時間も時間をかけ 彼の講釈に耳を傾けさせられるのである(笑) 長左衛門道から紅葉川渓谷に戻り、ようやく大黒渕から入渓した。悪知恵が働くと言うか 茶目っ気に翻弄されたおかげで、一日たっぷりと山に遊ぶことができた。



大黒渕から再入渓し雷滝を右に分けて 左の鐶滝(カンカネダキ)に向かうのだが 滝の右岸には「環鉄 カンカネ」(直径15cmほどの連鎖 チェーンのようなもの)が下がって居り 信者たちはそれを掴んで滝を登ったと思われる。ところどころの分岐点には聞き取りで年寄りたちの言った通り 目印として直径30cmほどの杉の木が要所に植えられていた。鐶滝を過ぎて左にハイスメリ沢を分けると 権現沢となる。

大きな滝はないが小滝が出てくると さらに二俣となり、いよいよ聖域だ。「血の池」と呼ばれる赤い砂地に水がたまった処に出会う。古い葉っぱをどけて「血の池」を清掃した。池を過ぎると小滝があり 小滝の向こう、壁に埋まるような格好で3mはあろうかと思われる小豆色の岩にであう。その岩からは水が染み出ており それがゆくゆく沢を形成し紅葉川に流れるようだ。これこそが面白山大権現の御神体だった。戦後まで氏子たち信者が団を組んで参拝していたところだった。

さて、最上川は河岸段丘を形成し今に至っている。地元のお百姓たちはこの最上川段丘に耕作した田畑への揚水に多くが苦労したといわれており、水桶の天秤棒を担いだり水車で最上川の水を畑や田に揚水したとされる。日照りの夏こそは神頼みと称し雨乞いの神事を各地で行ったともされ、水神を祀る山に雨乞山 水晶山 などが天童市東部近隣でも有名なほどで ここ面白山も水神として崇め奉られたのである。そういう生活の裏事情がこの地域にはあったわけだ。

霊験あらたかな御神体は まさに水が滲み出る赤い岩だった。戦後から半世紀が経ち、モーターポンプで隈なく水が行き渡るようになり、地元の年寄りたちでさえ御神体を参拝することはなくなっていた。すでに参拝路もわからぬほどに風化してしまったわけだが 地味な聞き取り調査で昔の生活が窺えて さらに話の先が面白大権現の御神体に向けられれば 村の老人たちの心に火が灯り 熱が入るというもの。

当山岳会会員の菅原某君は 御神体とはつゆ知らず、こともあろうにフェルトシューズで岩の頂点に登り切ったものだから さあ大変! みるみるうちに顔が青ざめ 唇が紫になり ガタガタと震え始まったから大騒ぎになった。祟りだ 祟りだ バチが当たったなどと周りの会員が騒ぎ立てたりするものだから(笑) ますます震えが来て 傍らに座り込んでしまったほどだった。私は深野さんの顔をつねに見極めていたので 彼の思う壺に菅原某君がはまったな?と笑いを堪えていたものであった。

今回たまたま、リンク先のHITOIKIさんのブログに権現沢が載っていたのでついつい思い出話をしてみることになった。御神体でぶるぶるした話は本当の話で 菅原某君はその時の事情について 狐につままれたような?と言っていた。、、、山歩きというのは 話以上に面白いものだ とつくづく教えられたものである。





Commented by HITOIKI at 2014-12-08 20:00 x
山は体がなければ登れませんが、それをスポーツとしてしまうか、その技術面はどうしても必要だけれども、それだけではないだろう、と思っておりました。半世紀前の僕たちの先輩は山に何を求めていたのか。それは救いだったのかも知れません。今を生きる私たちですが、私は時代劇が大好きで、江戸時代に憧れます。不便な時代だからこそ味わえる人生がある、と思いながら読ませて頂きました。
Commented by tabi-syashin at 2014-12-08 21:35
南会津山の会の先輩は、、、一つの世界から別の世界を窺い知る その境にあるのが「峠」だ というようなことをおっしゃっていましたから しかもそれは江戸はおろか戦後間もないころまで その存在がありましたので ごくごく近い時代ででもHITOIKIさんの憧景はあったのではないでしょうか。峠路考も興味深いものです。いずれスポーツとして観るのか 情感の対象として捉えるのか これらが絡み合うものであると私は思っています。だからこそ 写真を時系列に並べただけでは知的な楽しみは得れないといつも申し上げているのであります。そこに自分の想いがあってこそ 文中に心情を吐露してこそ、初めて山を味わったということになるのでありまして、その点 HITOIKIさんのブログには学ぶものが多々あると思うわけでございます。
by tabi-syashin | 2014-12-07 21:53 | Mount Futakuchi | Comments(2)