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吾妻小舎の夜

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今年の小屋閉め前々夜、なんか気になって予約を入れた。。
今夜の泊り客は20名ぐらいだそうで カヌーはお預けにして 旧友と一献かわそう。

この小屋は30年ほど昔から なんだかんだと 世話になっている。
ある程度の年齢にならないと・・・、この雰囲気や味、身丈にも合わないことだろう。

スカイラインを通るたびに立ち寄って 休憩に利用してきたりもした。 
管理人の遠藤さんご夫妻の温厚な人柄が 泊まりやすいと評判を呼ぶ小屋だ。


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昨年 遠藤さんが病に倒れ 奥さんが切り盛りされていたが・・・
なにか、何となく、、、気になり予約 ・・・その気になる「勘」が 帰りしなに分かった。
来年 小屋の管理人を譲る ということを伺った。 

なるほど、、、 そんな「勘」が 自分に予約までさせていたわけだ。
来年 飯豊本山小屋の高橋さん(慶応小屋の管理人でもあった)が管理人に代わるようだ。

どうも、遠藤さん お疲れさま  長い間、お世話になりました。
今年はこれで小屋閉めになる 来年 ゴールデンウィークまで冬籠りだ。


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Commented by KS at 2013-11-03 19:15 x
そうでしたか。
亡くなられた遠藤さんの情熱が受け継がれていくと良いですね。
夜明け前の降るような星空にキラキラとオリオンが輝いていました。今度は仙台で一献。
Commented by tabi-syashin at 2013-11-04 11:28
どんな雰囲気になるのか・・・?管理人次第で変わっちゃうので心配ですね。
会津駒の小屋のように・・・管理人が変わってしまって「酒飲み」が集まる小屋というイメージ。

静かな小屋の雰囲気を重視する人にとって 拷問のようです。
静かな駒の小屋の趣はすっかり無くなりました。

雰囲気がガラリ変わるのには閉口してしまいますね。
Commented by さぶ at 2013-11-04 23:40 x
遠藤夫妻の物静かな雰囲気が小屋に似合っていましたね。
そして、それが魅力で山スキーでも車でも訪れたものです。





Commented by tabi-syashin at 2013-11-05 21:04
小舎がそこにあるからこそ 蓬莱山から一気に浄土平にダウンヒルできるわけですねえ。
荷を下ろせば 春の香りを天婦羅にする楽しみが又あるわけで
それを にこやかに眺める遠藤さんがいるわけですねえ。思い出すほどに懐かしい。。。
Commented at 2013-11-05 22:13 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by tabi-syashin at 2013-11-06 05:26
そうですね。国鉄時代としか記憶にないですね。
調べればわかることですが・・・。

修理保全で維持も大変。トイレも綺麗になってます。
Commented by tabi-syashin at 2013-11-07 17:20
横山厚夫さんの電子エッセイ「杉並山房」に… 
1934年、仙鉄局の管理下で2800円の資金で建てられたとありました。
確かに鉄道省と記されています。80年の歴史があるんですね。

横山さんの初めての吾妻山は1972年とありますから、若干僕の方が早く登ってましたw
1982年当時の写真があって 2階の入口には屋根はあっても壁がなく 
あっこれなら僕も知っている ここで嶋津が天麩羅を揚げたんだって 
思いだしましたよwww
Commented by もときち at 2013-11-11 15:10 x
鉄道省 1920-1943
国鉄  1943-1987
JR  1987-現在
Commented by さぶ at 2013-11-12 00:12 x
鉄道省時代には、山岳部として案内書を数冊出していました。
手元にその内の一冊があります。序文・目次の見出しに宋朝体を使っていて私好みです。内容が優れているので、最近登り始めた地域の昭和16年当時の案内を読んでみたい気持ちがあります。見つかるかなあ。
蛇足ですが、昭和30年代。最寄り駅の機関区写真部員によるモノクローム作品がホームに展示してあり、その作者・題名が手書き宋朝体でした。それ以来の宋朝体フアンで、名刺の文字が宋朝体活版なのはそんなところにあります。お粗末様でした。
Commented by tabi-syashin at 2013-11-12 17:55
こんばんわ  さぶさんは 今はどの山域を歩いてるんですか?
それと太平洋戦争に突入した当時の出版物が存るんですね。
好戦国家の印象強い当時に 地域の案内書が刊行されているとは・・・。
Commented by さぶ at 2013-11-12 22:43 x
昭和18年7月『奥武蔵の山と丘陵』春日俊吉
昭和18年10月『日原を繞る山と谷』真鍋健一(2刷)
昭和19年6月『奥多摩』宮内敏雄

『日原を繞る山と谷』の序を宮内敏雄が書き、昭和18年卯月再び召されて戦野におもむく日と結び、
『奥多摩』の跋に岩科小一郎が、大陸の守りについた宮内氏に代わって真壁氏が原稿をまとめて上梓したと書いています。このあたりに戦時下の様子がかいま見えます。
上記の本を取りだしたとき、『嶝峠 会津編』森澤堅次 というガイドがでてきました。ご存じの方では。


Commented by tabi-syashin at 2013-11-12 23:04
なるほど主に奥多摩の日原 武蔵丘陵あたりですか・・・。
にしても 戦地に赴く中、継いででも原稿をまとめ上げたというところ
交戦色の強い当時の日本で山岳本を上梓する・・・わけですから
それこそ 強い「反戦」の意志を感じますね。

存じ上げるどころか 森澤さんには 南会津の資料収集で大変お世話になっておりました。
by tabi-syashin | 2013-11-03 15:11 | Mount Azuma | Comments(12)