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丁岳の沢  差首鍋 明神沢 大沢 石蓋狩沢 

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早いもので・・・
今月末の摩耶山計画で今年四月からスタートした年間山行計画は打ち上げとなる。そうなると 残ってしまった山は1/25000図の差首鍋(サスナベ)あたりになるのだろうか?男加無(オカブ) 女加無(マカブ) 萱森(カヤモリ) なかでも丁岳(ヒノトダケ)さらには石蓋狩(イシフタガリ)尾根の鋭い岩塔もいいかな? 摩耶山と同様に丁岳には秋がピッタリ。思い出深い山域だけに 錦秋の頃合いに行きたかったが 既に土日の休みはもう目いっぱいだ。有給休暇を申請するしか手がないかなぁ・・・え?かなり余ってるらしいって?w

明神沢(ミョウジザワ) 大沢~三滝山~水無大森(ミズナシオオモリ) 石蓋狩沢(イシフタガリザワ) 小又川などの地味な山域・流域はYMCA山岳会の得意とする領域だ。3回も行けば全て網羅できる。特に明神沢の稜線寸前の面白さは格別だ。隣の雁唐山・石蓋狩沢パーティはだいぶ難航したらしい。水無大森は70m近い滑滝や 20m前後の懸垂下降がボンボン出る、定時交信の無線が明るかった。低い山だが丁の沢はけっこう面白い 困難を極める谷があり、麓の里山という感慨は全くない。

大沢も、、、いや、三滝の左沢遡上と右沢下降、水無大森の迷路となった遡下降、メジロ虻との神経戦、2000年の夏合宿はじつに面白く 50歳をが迎えた私には大いに満足できた夏となった。(もっとも 60歳でこの山を伝って鳥海山まで積雪期縦走をこなした鉄人がYMCA山岳会にはいたけど・・・。)

鮮明に思い出すには 現地に立たないといけない・・・ 行かなくちゃ。




*この沢の記録も トマの風が一部トレースしたようだが? それに関しては別途・・・
とでもいうかこの際、少し話してもいいだろうと思う。

記憶をたどれば・・・あれは当時 トマの風の手嶋代表から 当会深野前会長宛に手紙が届いたのが事の発端。要は山岳会の会報交換から始まり 互いに山の情報を交換する友好山岳会としてのお付き合いをさせてくださいという申し入れだった。ところが こともあろうに深野さんは思いっきり断ってしまった。

当時、都会の、歴史の浅い山岳会の一般的傾向として、地域の文化や流域を踏査するような、地域に根差した事業活動をする山岳会が少なくなっていて さらに近頃の風潮として「山行記録の美味しいところだけを摘まんで沢を楽しむ会」が増えてきたなぁ・・・と運営委員会で話題になっていた矢先のことだったのである。

地方はそんな目で都市部を窺っているのも面白いが・・・、最近の傾向、いわゆる「トレース文化」がネットの普及とともに地方の山谷にもやってきたわけだ。言い換えれば 地方の流域に根差した山岳会は 都会の山岳会のためにあるのか? 大袈裟に言えば、、、 地方の山岳会は無名の沢を開発し、よりリゾート性の高い、ファッシネイティブな情報を上げる従属的な位置にあるのか?

対して、それらの危惧に防御的ラインを敷き、世間に広まる一種お気軽な「トレース文化」に一端しの山岳会を名乗る価値があるのか?と、、、同じ山岳会として警鐘を鳴らそうとしたわけである。

例えば 二口渓谷の大行沢あたりに入渓する関東の沢屋さんが増えてきたという話があった時に、ある意味 運悪く、トマの風は そういった世の風潮の煽りを食らう形で 当会 深野会長に「誤解」されてしまったわけだ。あげく「拒絶の手紙」が届けられたのである。その後 トマの風の手嶋代表がどんな話をしたのか?不明ではあるが、、、。

いずれ深野会長には釈然としないものには靡かない「気概」というものがあったんでしょう。「童人」という言葉にも誤解を生むものがあったのかな? 話は逸れるが山岳会と同人とでは運営そのものに違いがあり、同人には新人教育などコ面倒くさいものはなく自ずと会風は違ってくる。普通、地域名や都市名を山岳会名称に冠するものだが、地域に根ざすものが無い山岳会なので名称も既成概念にとらわれない自由な名称、、、などと新しい事象が地方の僕らには理解できていなかった。

さて話は戻るが、、、僕自身などは「タイミングの悪い時に腹の虫が騒いだのだろう」程度に思っていた。当時、当会では深野会長の関係で友好山岳会が10団体ほどあって「徒登高」「わらじ」「浦和浪漫」「ブナの会」「多摩美ワンゲル」・・・その中に加えることは容易いことなのだけれど 会長が拒否したものを我々運営委員会がフォローしようにも何ともしようがない。

そこへもってきて偶然、トマの風の1パーティが朝日の桝形川や ヒノトの流域に入ったという情報があったものだから その関東の沢屋と東北地域の沢との「脈略性」・「関連づけ」をどう結びつけるのやら?とても疑問だった。とどのつまり、朝日の中では ことさら地味な「桝形川との関わりかた」、東北にあってさらに情報の薄い「丁との関わりかた」を語る「何故に登るのか?」その脈略の一節が彼らの山行報告に含まれていさえすれば、、、何も誤解は生じなかったのだろう・・・ 沢記号だけで、愛着あるご当地、我らの沢を語られても 納得(完登)できないものがあるということだ。

さらにまたタイミングの悪いことに 当会では朝日の湯井俣川・桝形川流域踏査や丁流域の山行報告が「季報」にて報告が為された直後だっただけに 当時の運営委員会メンバーでさえ「美味しいものを租借する山行」に対し また一つ最近の全国的傾向に対しても疑問に思う点が増えたというわけだ。それは 僕らが 仙台の沢ヤ、「YMCA山岳会」だからではない。コダワルのは山とのかかわり方、山へのむかい方に多少の先鞭をつけて登っていると言う一山岳会として自負があるから、、、 なのである。

すべてが 不幸な誤解とタイミングから始まったわけだが 今だから記してでもおこう。当時の手嶋さんがこれを目にしたら 「あ、そういうことだったのね」という“おそまつ”程度なのだが 今にすれば実力をお持ちになった「童人」なので 昔の些細なことには気にも掛けぬだろうけれども・・・「いいとこどり」「珠玉の沢」「トレース」山行には批判的というか?そんな当会の内幕もあったという次第である。

地域山岳会から見れば、「根ざす流域を持たない」というのは、 どこか根無し草のようにも映る。 全国から美味しそうな情報を集めて、パパッと登られても 本来の山岳会活動とは違うものを感じてしまって、、、それで手厳しい批判や誤解を生んだとしても仕方ないのかもしれない。と、この際 当時の運営委員であった私から弁明しておく。まっ、イイトコどり山行は 端から蔑むYMCAだから まして地元の沢の良いところを四季を通じて知り尽くす地方山岳会なのだから・・・無理もない、そういうことです。 






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by tabi-syashin | 2013-10-11 00:04 | Mount Cyoukai | Comments(0)