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自分の居場所

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自分にとっての息抜きの場、、、「居場所」って仙台市内にある。もちろん郊外にだってあるし 車で移動すること自体が息抜きになってる ってのもある。人生思うように行かない、進まないことはたくさんあるので どこか居やすい 過ごしやすい 周囲に同化する場が在ること自体ありがたい。

身を落ちつけ 先の短い将来を案じ、、、こうではなかったはずだ と過去を省る。 珈琲一杯でそれが充分できる、ありがたいこと以外に何もない。時間はそれこそ自分の為にだけにあるし、雑念もなく自分の為にだけ供給される。あとは右脳をフルに回転させることが僕の居場所での仕事になる。

そういえばあの頃、社会人2年目の夏・・・ 当時 井上陽水に心酔(かぶれ)していた若造の自分。買ったばかりの真っ赤なVWにギターと陽水のコード表と毛布とを積んで旅に出た。

クレジットカードなんてない時代だ。夏休みに有休を足したので1週間は野宿できた。北海道に渡るカニ族とかハチ族とかって言われた時代でもあったっか?でも何故か僕は信州がメインで旅の最終地が能登。高速道路のない時代に群馬から山梨、長野、富山、石川県の金沢、能登半島まで走りとおした。

北アルプスのふもと、野尻湖の湖畔で3000mの山々を眺めながら陽水の楽譜から数曲ギターを弾いて一日を暮らした。それに飽きては金沢に向い、とあるスナックで歓待を受け意気投合し朝まで呑んだ。結果 浮き草のように風任せで輪島まできてしまった。

さて・・・、能登の海で、ボケっと海に浮かぶクラゲを見ていたら 途端に何故か家に帰りたくなった(笑)せっかく能登まで来たというのに、波のない海に漂うクラゲを見てるうちに、自分は 自分の居場所を失った と思った。

旅に出れば「旅の終わり」は必ずあるわけで、「旅の目標をどこで区切るか」なんて旅のいつもの付録問題で、それは旅の終わりに向かう者の心の問題でもあった。何も能登まで来ることが旅ではないし 途中どこでもよかったのだ。

旅に出たら その決着を得て帰ることが問題なわけで その決着のつけ方がまた問題だった。なんせ 帰ろう!って決めるのは自分なのだから。で、何故、帰ると決めれたか・・・それが問題だった。

クラゲがプカプカ・・・「漂う」ことと「旅する」ことは、、、本質的に違うんだな、、、これがこの旅での悟りだった。

旅に出る時の あの期待で胸が膨らむような想いはすっかり消えている。言いかえれば「活力の再生産」がなされない旅は「旅」とは云わず 単なる「旅行」の帰り道になる。旅での「帰る」という行為は 次の旅に向けてエネルギーを再び蓄えること けしてバスの中で熟睡するような「旅行の帰る」ではない、根本的に違うと思っている。 

能登のクラゲは自分にヒントを教えてくれた。いや ヒントではなく、答えを だった。

能登で帰ると決めた理由だが・・・もしかして 淋しくなったらどんなに強がりを言っていても、そこで旅は終わりなのかもしれないと気付かされたことに因る。「帰れるところがあるから旅なんだ」とも思ったし、帰れない旅は旅ではなく まさしくそれは「浮きクラゲ」、放浪だとも気づかされた。

それじゃ 旅を終わらせるほどのパワーをもつ「淋しさ」って一体何者? を考えた時に 人には血筋(家 親兄弟 恋人・・・)この縁があるから自分の居場所があり、だから居場所に帰る目的が生まれ、再び帰るんだって、、、だから、それを失う時に人は淋しくなるんだって・・・。 それが24歳の結論だった。

居場所・・・それは自分の存在が認められている環境のこと。

能登の海からなんとなく家に電話した。そしたら普段電話にも出ないのに この時ばかりは父親が電話に出た。「今から帰る」と伝えただけだったが 会話の少ない男親なので かえって 帰ることに箔がついた(笑) 

居場所を持つということは 「淋しさと対峙しながら暮らすこと」を意味するし もの思いに耽ることが許されることでもあるし 必ず居場所が安定して「在る」という裏付けがあって耽ることができるんだなって、、、 居場所ってすごく大事で活力の再生産の場とイコールなんだ と思っている。 

あれから40年、「旅」を題材に「居場所」を考えたらこんな結論になった。 最後にもうひと花咲かせようと思うが 思えば遠くへ来たもんだ と思い巡らしてもいる。 

本論とは無関係だが・・・喧嘩したりして、互いに心休まる居場所が失くなるというのは生活の再生産ができなくなるということを意味する、だからそれは困るよね、だから 喧嘩はしない方がいいよね。









by tabi-syashin | 2013-02-08 23:13 | colum | Comments(0)