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宮城県美術館

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仙台は昨夜から小雨、、、肌寒い日曜日。若手陶芸家たちの作品展にも出掛けたかったのだが、この雨なので・・・益子行きは中止。矛先を変え 宮城県美術館にでかけてきた。芸術の秋だから芸術を鑑賞する 今しきりとTVで宣伝している「フェルメール展」。もっとも Mr.curtis のブログで紹介されていることもあり・・・「彼が行けるのなら 俺にも行けるだろう?」的なノリである。じつにありがたい(笑) 

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フェルメールは オランダ、運河の町デルフトdelft で旅館の息子として生まれ 43歳で亡くなった。
売れなかった時代の絵は 一枚3000円ほどでパトロンが買い取ってくれたそうだ。彼の絵の真価に時代が追いつきだしてからは 一枚数億円~数十億円の代価がつくと言われている。短い生涯で「牛乳をそそぐ女」とか 独特のブルーを用いた「真珠の耳飾りの少女」とか 描かれた数少ない作品には 贋作の世界でも、盗品の多さでも 謎多い物語が潜む。当世、アマ写真家たちのブログでも紹介され 彼らをオランダまで出かけさせるほど魅力的すぎる画家。

観たい作品は展示されなかったけれど 彼の数少ない作品のうち、3点が出展された。光の捉え方、コントラストなどが写真撮影のエッセンスと似るので興味があり 面白いものだった。画を観賞しながら 連れがあることに気付いた。フェルメールの1965年と1970年の作品とでディテールの表現が違っている というのである。よく見ると メリハリのある濃淡へと変化している。コントラストが強くなっていることも分かった。

僕は僕で 会場の40点ほどの作品群から知り得たことというと・・・この時代の画家たちが描く主テーマの横に描かれる「犬」「召使い」「給仕」。パトロンの存在とその収益性がそうさせたのか?
「富の象徴」として描けば売り易かったのか?書物を描かせるのは「知性」の象徴であったろうし パトロンはそれを望んでいたであろうし。。。

17世紀中頃というのは、オランダでは富裕者と召使いという身分差、れっきとした職業が存在していたこと。説明書きにもあったが召使いは全世帯数の10%~20% オランダの社会が見えて興味が惹かれた。日本では長崎に出島ができ 鎖国に完全に移った時代でもある。オランダの貿易商人やキリスト教の宣教師たちも出島に集められた時代。江戸は士農工商の身分差が存在し、近代日本 明治まで女中やデッチといわれる奉公人がいた。でもそれが20%も占めていたか?と問われれば そうだとは言い切れないし 思いもしない。

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行きたくとも何故か行かず終い・・・行こうと思っていたのに開催期間がとうに過ぎていた・・・などということが過去に何度もあった。音楽や芝居や映画の世界でも 機会喪失は山ほどある。つまり・・・人生、振り返れば悔いの山である。もし貴兄に、君に、、展覧会に誘いの連絡があったとしたら・・・どうだったであろうか? たかだか一通の手紙やメール 一本の電話なのに・・・これが このフェルメール展の一つのテーマでもある。それがより楽しく生活を過ごすキッカケとなるならば?さあ どうだったであろうか?

面倒なことはどうでもいいのだが 今日の男性見学者は全体の約1割? 来場者はほとんど女性ばかり。これが当地の「文化度」と解釈されることにもなる。さて・・・ レンブラントと言えば 美術の教科書にも出る有名な画家。光の巨匠という代名詞が付くくらいの 光とコントラストの画家でもあるが レンブラントは肖像画 こなたフェルメールは日常画 その作風の違いがフェルメールをより親しみのもてる画家として僕らが想うに そう難くはない。もし こんなことや あんなことを知っていたとしたら・・・展覧会を待ち焦がれる日々は もっと楽しい日々であったに違いない。。。

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by tabi-syashin | 2011-11-06 17:00 | Art | Comments(0)