人気ブログランキング | 話題のタグを見る

「記憶の標識」  早池峰山

「記憶の標識」  早池峰山_d0237340_2254484.jpg

有名山に登って、記念樹のような「記憶の標識」を立てることが最近多くなった。

誰しも、流れる時間を先の先まで読み取れる人はいない。人生の先の方、未来を見通す力は誰しもないものだ。じゃあ、過去ならどうかというと、それなら簡単に振り返ることができる。なので老後には「記憶の標識」めいたものが欲しくなる。分かりやすく区切ったその標識一本ごとに未完の人生を完成へと近づけるわけだ。

振り返れば・・・人生の節目をそのつど祝ったり味わったりしてこなかった、ただただ走るだけの人生、、、それに愛想を尽かした団塊世代が 己の「記憶の標識」の少なさに気づき 「余生を有効に過ごしたい」と一様に焦るのには そういう事情があるのかもしれない。

だからといって・・・いきなり深田久弥の百名山や海外の山でなくともいいだろうに、と東北の藪山ばかり歩いてきた私などは思うのだが 百名山志向の方に云わせれば、それはやはり名山であればあるほど記憶の襞に刻まれるものは深いもの? らしい。まして友達の少なくなる末期を考えれば なお淋しい。ならば、名山も海外へも同好の仲間とでかけよう みんなで渡れば怖くない 団塊の初老たちはこのように考えるらしい。
  
若い時分は今日この日の記憶など 翌日の記憶があっさり塗り替えるものと思っていたのだが、「時間はまだある、次回にやろう」と高をくくっていると・・・いつしか途端に還暦だ。一日一日が大切になり もう一度登ってみたいと焦がれる山への想いは 喉を乾かす熱砂のようにもなり、人生の終わり加減にひと花咲かせたいと思うようにもなるのである。

団塊の男たちは大抵そのような「できなかった やり残した」などを心に宿しているものである。分かっているのは 若い日の記憶や、「あんときの体力」との戦いになるだろうということ。それはガッカリもさせられるが、還暦の身にとって今を知るのは重要であり、大袈裟にいえば過去と今との真剣勝負のようなもの。終焉の渕に誘いだされた人間の「ひと花」を如何に美しく咲かせるか 自己体力との競い合いみたいなものだ・・・(笑)

「記憶の標識」  早池峰山_d0237340_22185115.jpg

というわけで・・・今年の春に計画した「月山 鳥海山 早池峰 会津駒ヶ岳」の中から後ろの2座を選んだ。去年の燧ケ岳の時にも同じことを言ってたが、進歩がないなぁ。もっとも、還暦の身に進歩という文字は超革新的ではあるのだが、当然ここは「維持」であっても一本勝負なのである。

ほとほと山歩きに馴れない身になった。30年前に登った山、早池峰山は今にも崩れ落ちんばかりに頭上に覆いかぶさってくる岩山だが、2時間半とも3時間半ともいわれるこの山の河原ノ坊コースを まさかの4時間半もかけて登るとは・・・。こうなる計算ができるのであればもっと楽な小田越えコースにしたものを、若い時分の記憶が河原ノ坊コースを選ばせていた。勝負する前に、既に「過去の気概」に負けていたのだ(笑)悔しいが昔の記憶でいけば「こうなるはずではなかった」。今にし思えば「これが現実なのだ」ということで これはこれで得心なのだと思う。

体力や視力が落ちているんだと片付ければそれでも済むが 写真の撮りだめに1時間は掛かっているので少し負け惜しみを含み まあこんなものかと諦めもつく。。。それにしても膝が笑った。特産種の花を撮影しては登り また可憐さを撮っては登る・・・、この繰り返しであったが そのスローペースが良くなかったかも。次回こそ、何事もなく「過去」同様に登りきったら・・・、温泉に浸かりながら 山の反芻を肴に冷たいビールで祝杯をあげるつもりだ(コンチクショーめ)

イブキジャコウソウ
「記憶の標識」  早池峰山_d0237340_23192599.jpg

by tabi-syashin | 2011-07-19 15:27 | Iwaten | Comments(0)